《無防備都市/Roma città aperta》を観た。1945 年、ロベルト・ロッセリーニ監督による作品だ。

スコセッシおすすめ外国映画マラソンの 8 作品目となるが、ドイツ編、フランス編ときてイタリア編となった。

第二次世界大戦で連合側に降伏したイタリアは、降伏直後にドイツに占領された。本作はドイツ占領下のローマ市民とレジスタンスたちの苦難を描いている、という説明していいだろうか。1945 年というと日本はまだ降伏前だが、イタリアはすでにドイツの占領からは解放された後らしい。そのような状況で製作されたこととなる。

本作はあくまでフィクションではあるが、ほんのひと時前までに現実に目前にあった、体験された過酷な状況を、それほどの歳月を経ずに映像化していることになる。それぞれの主要な登場人物と、纏わるエピソードは実在の人物に基づいて構築されているらしい。

このような作品に対して、どう反応すればいいのか難しさがある。半世紀以上前の作品だからと割り切れるものでもない。最近の映画で言えば《ムンバイ》を観たときの感触に近い。もっと一般化すれば、ドキュメンタリーに近いフィクションとの接し方という問題意識になるか。

皮肉なことだが、このような作品を単体で見たとき、面白さも小さければ、それなりの評価で済むんだろう。けれども本作、とても面白いので、どうやって消化していいのか悩む。

ジョルジオ、神父、ピナのそれぞれが迎える結末は、いずれもツラい。でも、それぞれの生きざまが反映されていて、カッコいい。彼らの情熱を否定する材料はほとんどない。受けとめ方はいろいろとあっていいはずだが、作品内での意味付けとしては止めの神父の台詞に集約されるだろう。

悪役、というかドイツ軍側のベルクマンとイングリッドも、よくよくこんな役をこなしているものだ。彼らの世界はほとんど閉じており、鑑賞者からみれば穴だらけなのだけれど、彼らは彼らの信念を生きている。

ベルクマンの執務室、入って右側が拷問部屋、左側が将校クラスのレストルームのような構造になっており、左右の対比があまりにも明確だ。実際の施設が本当にこんな構造だったとは思えないが、ギャップの演出にはもってこいだ。

判断力を鈍らされたマリーナがあまりにも哀れで、どうしようもない。

中盤とクライマックスの描写に明らかと思うが、子供たちの在りようについての気の配り方が絶妙だ。「大人たちが抵抗に敗れても、子供たちが引き継いでいく表れ」のようなコメントも見たが、そういうことなのかね。

イタリア映画だからだろうと雑な括りは許されないだろうけれど、家族関係についての視点が強い。加えて神父は、さまざまな子たちの面倒を見ていたようだので、そういう意味では家族を超えた絆のような面もあるだろう。

同じ視点上だろうか、マルチェロがピナのスカーフをフランチェスコの手渡して別れるシーンが強く印象に残っている。

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