スウェーデンの映画『ホモ・サピエンスの涙』を観た。行ける範囲の上映作品をザッピングしていたら、即座にシャガールだと判ぜられたポスターに魅せられて、即座に予約した。内容も何も、まったく確認していない段階だ。年内で国内での上映はほぼ終了で、ギリギリ滑り込みできたのも幸運だった。

原題は《Om det oändliga》、英題は《About Endlessness》となっており、素直だ。たしかに、流石にこれは原題をそのままに『永遠性について』としては客も入らなかろう。監督のロイ・アンダーソン自身も半ば冗談めいて「私、トマトのほうがいい」のほうが客ウケがよかったろうとインタビューで語っている。

全 32 のシーンがワンカット、固定されたアングル内での小さな情景が映される。すべてのシーンに関連性があるわけでもなく-関連するシーンもある、時代なども一致しないようだ。これだけ読むと割と退屈な体験になりそうだが、想像力を刺激するには十分すぎるほどまで細部まで巧妙に作り込まれた画面に惹き込まれて止まない。あっという間の 76 分間だった。

時間を割ると、1 シーンは平均して 2 分強ほど充てられている計算になる。2 分間ほど、画面に向かって立つ男のモノローグだったり、心がポカポカするちょっとした情景だったり、シュールなコントのようなやり取り、悲劇的な状況などが目に入ってくる。それを味わう。

女性のナレーションが端的に説明を付す場合がほとんどだが、そうでないシーンもなくはなかったかな。それにも意味はあるだろうけれども。そういったことを解釈するのも楽しい。

鑑賞中にそれぞれのシーンを回想しつつ、進むにしたがって次第に順序や内容を頭の中では整理しきれなくなり、忘れたり、あいまいになったり、混ざり合あったり、それらが本作全体の体験となる。鑑賞の翌日にひとつひとつのシーンを記憶から引っ張り出したら、なんとかすべて思い出せたようで、思わず購入したパンフレットと答え合わせを楽しんだ。各シーンの感想は後述した。

なお、全 32 シーンと書いたが、日本語の公式ページなどには「33」となっている。だが、自分の記憶と照らし合わせながらパンフレットの記述(明確ではない)を確認すると 32 で、海外のメディアの記事にも「32」となっている。数え方のズレが発生してなければ、こっちが正しそうなのだが、どうか。

アート映画をどう楽しめというのか

高尚そうな映画の雑多な総称を「アート系」というかと理解していたが、ひとつの形式としての「アート映画」は定義があるらしい。本作も厳密にいえば「アート映画」なのかな。

本作の個別の楽しみ方としては、やはり入念に作り込まれた画面、小話をどれだけ楽しく眺めるかに掛かっている。もちろん無心で楽しめるなら越したことはないが、私はたとえば、 2 つ目のシーンでの仕掛けに気がついてから俄然、楽しくなってきた。以下のような感じだ。

画面に向かってつまらんモノローグを吐く男がいる。BGM には女性のコーラスが流れてくる。はじめは劇伴として楽曲が挿し込まれていると思っていた。ところがこれは、あくまで画面内の音だった。立つ男の右側にみえるビルで合唱の練習をしていると思しき女性たちの奏でる歌声なのだった。非常に小さくしか見えないが、確かにいる! 歌ってるっぽい! BGM ではなくて描写された画面内で流れる自然な音として表現されているというわけで、まぁ手の込んでいることだなぁ(笑。

という感じで、それぞれのシーンを楽しんだ。ほかにも楽しみ方はあるはずで、アハ体験や騙し絵、間違い探しのような感覚で目を凝らしてもよいだろうし、別々のシーンになにかしら関連性がないか探してもいいと思うし、わずかに語られる画面と台詞で勝手に前後の物語を想像してもいい。それこそすべてを諦めて、ボーっと眺めるのも楽しかろう。そのまま寝てもよさそう。

ところで、ふと目にしたある感想で「美術館に展示されていればいい」とも言われていたが、私はこれは否定したい。個人的な芸術家の映像美術が展覧会に出展されることも、展示作品が数時間もの尺があることも珍しくないが、10 分や 15 分ならまだしも、ちゃんとしたスクリーンと座席、鑑賞環境が用意されているならまだしも-それを映画館と呼ぶが、そもそも美術館だってウィンドウショッピングじゃない、あなたがちゃんと最初から最後までそれを鑑賞するならまだしも-、いずれにしてもこれは劇場で公開されてしかるべき体制で制作されているのだから。

それぞれのシーンをこう楽しんだ

みっともない種明かしみたいになるが、自分はこう楽しんだというメモを付しておく。シーンの名前は私が勝手に与えた。順番はパンフレットに従っているので多分、間違ってはいない。上で書いたように抜け漏れがある可能性が否定できないのだが、それだったったら残念だね。

1.小高いベンチから街を眺める夫婦

スウェーデンの街並みなのかな。平和だ。これから何かが始まりそうな予感がする。女が渡り鳥を指して言う。このセリフはチェーホフの『ワーニャ伯父さん』からの引用らしい。

2.歩道の階段の登り切った場所でのツマらん文句

どこかの歩道、階段を登りきったところで画面に向かって独白する男。つまらない過去を振り返って文句を言っている。音楽は美しい。男は何も美しくない。

3.別のことを考えてワインを溢れさすソムリエ

ワインに興味を示さず新聞を読む客。応対するソムリエ。テイスティングまではなんとか進む。注ぐ。溢れる。ギャグのような最後で一瞬の反逆だ。

4.高層ビルからガラス向こうの風景を覗く広告ウーマン

彼女は恥じらいを知らないらしい。全面ガラスの窓からビジネス街を見下ろす。そういうわかりやすい話なのか? でも、悲しげだ。

5.ベッドの下にへそくりを隠す男

部分的には《ファンゴッホの寝室》っぽいが、どうか。寝心地は悪そう。マットをいじる動作もそうだが、ベッドライトもやたらと明るい。

6.十字架を引きずった神父

いきなり象徴的な画面だ。坂道の途中のカフェが映る。坂下から騒がしい声。十字架を背負った男。殴る、鞭を振るう老若男女。2 回、女が男を蹴った。

7.夢から覚めた神父

十字架を背負った男は神父で、アレは悪夢だった。妻がサイドテーブルからコップに入った水を渡す。さっき蹴っていた女性じゃないの? はじめの目を覚ますまでの数瞬、夢の中の喧騒は画面内で再現されていたので、これは外の音で、同時刻の別のシーンかと思った-いや、その通りなのだが。

心配して支えてくれるパートナーが傍で眠っているんだから、お前は十分幸せじゃんと思わなくはないが、神父としてはダメらしい。贅沢な男だ。

8.愛をこれから知る少年

美容室だろうか、店頭に置かれた鉢入りのやや枯れた樹に水をやる女性。通り過ぎようとする少年は、ふと振り返って書店の前で直立する。樹はやや枯れている。

本記事の最後に参照しているWebページでこのシーンのメイキングシーンが見れるが、必見だよ。この画面、こんなことになってて作られてるのかとなる。スゴイ。

樹はやや枯れている。

9.精神科医に通う神父

信仰を失ったらしい神父が精神科医にかかっている。苦しんでいる。ちょっとまともな病院にみえない。町の診療所だろうか。棚もテーブルも椅子も、なんとなく雑だ。どうにも、ひときわ現実感がない。

診療にはお金がかかると医者がそっと添えて警告する。神父もそうだろうと言う。なんなんだこれは。1 週間後にまた会おうと言う。窓の外は白々しい明るさがあった。

10.両足を地雷で失ったマンドリン弾き

地下の公道だろうか。床に座布団を引いた男が弦楽器を弾いている。膝から下はなく、傍らには車椅子があり、やや肥えた 50 代か 60 代そこらの白い男が佇んで見守っている。誰もほとんど彼らを気にしたい。雑に設置されたエレベーターが気になる。

奥側の角から出てきた男 2 人連れがマンドリン弾きの用意したチップ入れの靴を、靴だったな、確か、たしかに靴か…、靴を蹴りそうになる。足元注意。

11.赤ちゃんを撮影する祖母らしい女性

夫婦と思しき男女と赤子。それをカメラで撮影している祖母らしい女性がいる。やたらと写す。おそらく夫婦は飽きている。場所は学校なのか、奥側に居た女の子 2 人がチャイムとともに消えていくのがなんか面白かったなぁ。階段のところで撮影しているものだから、祖母さんの挙動がちょっとこわい。同前、足元注意。

12.飲酒しながら聖餐を授ける神父

ドアの向こうに見える祭壇に礼拝者が跪いて待っている。神父はキリストの血を器に注ぎ、ボトルでそれをラッパ飲み。フラフラと祭壇に出向いていって、聖餐を授ける。足取りはおぼつかない。あまりにも哀れ。あまりにも不条理だ。

13.息子を戦争で失った老夫婦の墓参り

墓場。そこそこ古びた墓前の花を夫が捨て水で掃除し、妻が持っていた新しい花を添える。どこも似た様な風習だな。右奥の青い車は、この夫婦が乗ってきたのだろう。「私たちがちゃんと見舞ってるぞ」と父は告げる。「安心してくれ」みたいなことを言った気がする。誰が安心できようか。後の文脈からしてこの息子というのは第 2 次世界大戦でなくなったのか。

14.荒れ果てた街を見下ろす愛する2人

本作のポスターにも採用されているシーンだ。シャガールの《街の上で》などがモチーフだろう。人間が飛ぶというのはよくわからん。2018 年に観た《ジュピターズ・ムーン》も思い出された。幻想的でいいのだが、眼下の街は果て無く荒廃している。

この街は、第二次世界大戦で破壊されたケルンの街を表現しているらしい。

この 2 人は無垢さを象徴しているという。ごくパーソナルで自然な人間的感情と、それとはまるで正反対の人間の起こした惨状の対比。で、それをキレイな映像として楽しむのは私。

15.列車から降りるも誰も待ってない女

プラットホームに濃紺の車両が停まった。女と女の子が男を待っていた。仲睦まじく挨拶を交わして家族はホームを去っていく。いい光景だ。

次に女性が下りて彼らを眺めるとナレーションが入り、女性を待つ人はいないことに彼女自身が気づいたことが告げられる。女性が側のベンチに座ると列車は発進し、映し出される背景には灰色の空が広がっている。美しい。ちょっと、このシーンの色彩もゴッホっぽいんだ。

この画面をずっと眺めてたいなと思ったら、奥のホームの奥の奥でせわしく走る男と息遣いが映って消えた。「思わせぶりなことをするなよ」と思ったら、地下の通路を通ってか男が到着する。待ち人、来たるだ。なんだ迎えいるじゃん。ナレーションに騙された。翻訳の問題かな? でも、幸せなら OK です。

16.シャンパンが好きな女

ちょっとしたキャバレーっぽい店内。男が女にシャンパンを勧める。ナレーションは女がシャンパン好きだと説明するが、私には女がそれを楽しんで飲んでいるようには見えなかった。これは 2 人の関係性を表しているのか。

17.道を間違えた男

半地下の食堂っぽいエリアに座る女。前のシーンから引き続き同じ BGM が流れているので連続性はあるのか? 同じ店内なのか? 同じ音楽がラジオか何かで流れていて、同時間の別の場所なのかもしれない。

花束を持って来店した男は女に声をかけるが、どうやら人違いだ。字にして説明しても何も面白くないんだけど、このシーンめっちゃ面白いんすよ。マジで。16 と 17 でなにかしらの対比があるのかもしれない。

18.磔にされる男

もうね、宗教とか信仰とか関係ないんすよ。何かしらの罪を犯したと断ぜられた男が、雑に柱に磔られるっぽい。でも、前のシーンがおもしろすぎて、考えごとしてたら注視できない間に終わっちゃった。

19.道中で踊り出す女の子たち

これはみんな好きになるシーンだね。

ちょっと海辺っぽい立地なのかな。テラス席付き小さなお店があり軽快な BGM が流れている。左手前の小道の奥からやってくる大学生くらいの女の子たち 3 人。店を横切るのか、入店するのかと伺っていたら、店の前でそのまま楽しそうに踊り出す。ほんまに楽しそうなんだよね。

テラスに居た男子 3 人の目もくぎ付けだし、他の客も楽しそうに見ている。なんなら店の奥からも人たちが覗いている。よくできたジオラマっぽさをこのシーンにもっとも強く感じた。

さて、パンフレットによれば、女の子たちが踊る曲は《Tre Trallande Jäntor》という 19 世紀のスウェーデンの詩人の一編を楽曲化したものらしい。原題の意味は「挑発する3人の少女」とのことらしく、まさしくシーンの状況となっているわけだが、とりわけ面白いのがこの歌を歌っているのが、The Delta Rhythm Boys という US のボーカルグループらしい。当時は、スウェーデンに彼らのようなボーカルグループが来訪して活躍することも珍しくなかったとか(パンフレットの解説に拠る)。ググると、日本にも来ていることがわかる。

彼らのグループ名が、この歌とうまく対のようになっているのがおもしろい。《GULDKORN》というアルバムに収録されているようだが、配信などはなさそうだが、YouTubeにはあった

20.乳母車を引くハイヒールが欠けた女

大きなターミナルだ。どこなのだろう。乳母車を引く女の片方のヒールが欠けた。目の前のベンチの老紳士は気がつくが、どうしようもない。ひとつ奥の男性も気づいたようだ。女性はベンチでハイヒールを脱ぎ、歩いて消えていく。続、足元注意だ。

本作、乳母車は 11 に続き 2 回目の登場です。

21.家族の名誉を守ろうとした男

娘か妻か、腹から血を流した女を後ろから抱いて床に倒れている男。左側のドア前には親類と思しきか? 男女と男の 3 人か? が痛ましげに事態を傍観している。そして男は嘆き続ける。家にとって不名誉となる振る舞いを、死んだ女がとったということか。外の天気はいい。青く晴れている。

パンフレットを読むと、このシーンの出展が記されていた。イリヤ・レーピンによる《1581年11月16日のイワン雷帝とその息子イワン》とのことだ。なるほど、言われてみればこの作品がネタになっていることがわかる。

22.魚市場での私情の縺れ

魚市場。魚を切る職人が主役かと思ったらいきなり痴話げんか。男が一方的に女性にビンタする。「俺の思いの深さをお前は知っているのか」との旨。周囲の男たちが止めに掛かる。職人も止めに入るが「魚を切っていたその手、お前それ洗ってないやろ!」と笑ってしまった。そういうことじゃないよなぁ?

23.熱力学第三法則を語る少年

アパートの一室。髪を梳く少女の前で小難しそうな古本を読む少年。熱力学が、宇宙が、エネルギーがと少女を口説くが、その返答は「トマトがいい」である。どういうことか。ここでは説明しません。

この画面も美術が最小限で、天体望遠鏡がそれとなく置かれているのが、逆に空々しい。でも、若者ってそれくらいでよさそう。映画.comに掲載されてるインタビューではこのシーンがお気に入りと述べていた。

24.世界征服の失敗を自覚した男

いきなり史実の描写が登場したので気が動転した。地下シェルターだろうか。ナチスの将校らしき男らが 3 人とも憔悴しきっていると、奥の入口からヒトラーらしき男が入ってくる。息も絶え絶えの面子が、弱々しくも挨拶を交える。

これは、記事を読んだらモチーフがハッキリとあった。ソ連時代の藝術グループ:ククルイニクスイの《The End of Hitler》が元ネタだ。画面中の登場人物らにとっては悲劇的な終末だが、現実に照らせば、戦争の被害者らにとっては悪夢の終わりのような状況でもある。乾いた笑いを誘う彼らの最期のシチュエーションは、ただただ風刺なのだ。

25.バスの中で泣き出す男

これ、神父シリーズかと思ったがどうなんだろう。確認でき次第、修正するが神父ではないのかな。停車中の満員のバスに乗ってから泣き出す。「自分の望みがわからん」みたいなことを言う。隣席の若い女性に問いかける。女性、困る。

反対側の男が「みっともない」と叫ぶと、後ろの女性が「泣いてもいいだろ」と泣く男を擁護する。叫んだ男は「家でやれ」と返す。いいよなぁ。もう、いいよなぁ。

男の隣の若い女性以外、割とシニアが多いのだが、みんな顔色が悪いんだよね。これはかなり分かりやすいような気はするんだけど、この解釈でいいのかも不安だ。

26.雨天の誕生会に向かう親子

広大なグラウンド。背後にマンションかコンドミニアムか公営団地かしらんけど、大きなビルが 2 棟。大雨。父は娘の靴紐を直している。地に置いた傘が風に流される。自身の身体とプレゼントを濡らしながらも父はなんとか終える。

グラウンドを突っ切って奥の建物に向かっていく 2 人。まともな道はどこにある。これはなんだろう。荒々しくも幸福なシーンに見えた。

なお、別のインタビューでは、監督はこのシーンが好きだと言っていた。監督の公式ページかなにかにメイキングの画像があったが、これも衝撃的だ。

27.精神科医から追い出される神父

アパートの一室(診療所)で残務処理をする秘書は、鳴ったドアベルに対処した。そしたら診療時間外にもかかわらず狂った神父が闖入してきた。「どうしたらいい」と嘆く彼を精神科医と秘書はバスに間に合わなくなると追い返す。これが愛だ。

「来週、相談しましょう」と秘書が言った。ということは、もしかしたらシーン 9 から時間が経ってもいないのに、神父は再訪したとも考えらえる。どういうことか。

神父シリーズはここで終わりっぽい。結局、誰も彼を救わない。これが日常か。

28.機嫌の悪い歯医者

歯科衛生士? が「すみません」とよく謝る。よくわからん。雪景色がきれい。これも美術の仕立てを敢えて雑にしてるのだろうが、歯医者がそんな軽いキャスター付きの椅子に座って施術するのか? って笑える。やりとりも雑の極みで笑える。いったい何を見せられているのか。

歯医者はもともと不機嫌なようだが、患者の要望も意味が分からない。なんなら、この作品でもっとも不条理なシーンかもしれない。

29.そのままダイナーで飲酒する歯医者

珍しく連続したシーン。アルコールをストレートで立ち飲みする歯医者。歯医者を除いた他の客らは、どうもみんな、何かを待っているようだ。クリスマスだろうか。なんか SF っぽさもあるんだよな。全人類がなにかを待ってる。

別のヘンな客が「いいと思います!」「なにもかも素晴らしいと思います!」みたいなことを言って歯医者やジェントルマンに絡んでる。ようわからん。ようわからんから、いい。

30.捕虜収容所に向かう兵士たち

これなんか著名なタイトルの構図そのままっぽいのだが、思い浮かばないし、検索にも簡単には引っかからない。各シーンとの関連でいえば、ロシアで囚われたドイツ兵捕虜がシベリアの収容所に移動している図のように思える。

列の先頭がどこまで伸びているのか、CG 処理によって同じ俳優が繰り返して流れて行ってないか? などと見てしまった。

これだけはロケをしたらしいという感想を見た。が、ソースは不明なので、あくまでも「らしい」どまりだけど。なんかわかったら書く。

31.見下した相手が博士になって嘆く男

2 つ目のシーンに登場した男の愚痴、ふたたび。いらんいらん。ネチネチと文句を言ってる。なんだろうな、このシーンの意図は。でもね、男は奥さんに美味しい料理を提供することはできたっぽいので、そういう不幸中の幸いみたいな描写なのかな。だが依然としてこの男を憎らしいと思う気持ちは私の中にある。

32.車の故障で困っている男

大きな平原が広がっている。地平線が美しい。故障して止まっている車から男が出てきてボンネットを開ける。それで解決するならいいが、まぁ、しない。

空を雁かしらぬが、渡り鳥っぽい鳥が飛んでいく。車は直りそうにない。ちょっと今までにないくらいカメラが人物と遠く、男の表情などは読み取りづらいのだが、男は確かにカメラに視線を送っている。困っていることをアピールしているようだ。どうせよと。

ところで、この鳥は鶴であるらしい。また、これは最初のシーンの鳥たちと同じように飛んでいる。永遠性だ。

この作品の扱う永遠性ってなんじゃろな

日本語の公式ページにも触れられている『千夜一夜物語』だが、命を賭したシェヘラザードの終わりのみえない語り、というスタイルが本作にインスピレーションを与えたらしい。女性によるナレーションの導入も「シェヘラザードの語り」を意識しているとのことで、途切れることなく、できればいつまでも続くことを乞われる物語が意識されている。

また、監督は自身のページの解説で「豊穣の角」にも言及していた。これは、さまざまに豊かな食物や素材などが、羊の角からいくらでも生み出されるというギリシア神話で語られたアイテムだが、このアイテムの無限性を意識しているらしい。

同時に、監督の作品が極めて絵画的であることについても、本人から補足されていた。ちゃんと引用してみる。

I feel that art, art history plays the role of a horn of plenty, encompassing within it the entire scope of what it means to be human. I must confess that I have often felt a certain envy for this richness of the fine arts. Of course there are films that are almost on a par with the great masterpieces of fine arts, but they are few in my opinion.

https://www.royandersson.com/eng/endlessness/

ざっくりと訳すと以下のような感じだろうか。

私には藝術、そして藝術の歴史そのものが人類、人間全体にとっての「豊穣の角」であると感じています。率直に言って、私は “fine arts” の豊かさに羨望があります。もちろん ”fine arts” の傑作にほぼ匹敵する “fimls” もありますが、個人的な意見としてはそれはごく僅かです。

このような根本的な意識が、監督独特の制作スタイルを生んでいるのか。

なお、その他のインタビューでは ボブ・ディラン の “A Hard Rain’s a-Gonna Fall” からも影響を受けていると答えていた。歌詞を読んでみると、なるほどと思う。ここではこれ以上は深入りしないが、最後に参照した記事へのリンクは残しておいた。

監督:ロイ・アンダーソンと Studio 24の制作スタイル

ざっくり、画面を如何にコントロールするか、が争点だろうか。まぁ視覚芸術の根本問題だけど、そのこだわり様やスタイルの話だね。

アンダーソン監督の志向は映画における「ハイパーリアリズム」と呼んでいいみたいだ。絵画だったら写真などをベースに創作するタイプのやつだよね。彫刻にもあるらしいけど、私はこちらはあまり目にしたことがない。

本作の場合、参照した記事内の動画で解説されているのでぜひ確認してほしいが、ほとんどすべてのシーンがスタジオ内(Studio 24)のセットで撮影されている。遠景の景色は、それこそ描かれているか、ミニチュアで処理されている。劇中に登場する小さなアイテムも模造品であったりする。えっ、あれがダミーだったの? となるので面白い。

つまりこの手法によって最適なアングル、奥行、色彩など、劇中での役者の演技以外はほとんどすべてコントロールできるようだ。逆に、役者の演技はコントロールしたくないみたいなことも言っている。

まぁね、絵画と映画というのは別物なので直接対決させても意味はないだろうけど、たとえば絵画というのはその可能な表現の範囲で、特定の画材と描画手法などを使って、静止した、ひとつの画面の中に、制作者の意図を反映し、それを発揮していると言える、とする。

それって映画には原理的にはできないし、そう考えればその端的さという意味では絵画のほうがスゴイ藝術なのでは? っぽくない? みたいな考え方もできる。この辺が監督の切り込み方なんじゃないかな。ようわからんけど。

その他のことなど

読んだ記事やまとまらなかった箇所の引用などを以下に載せる。

以下、日本語の媒体のまともな記事はこれくらいだろうか。もうひとつ読んだけど、そちらはあまりリンクしてもしょうがなかったので、こちらのみ。

以下は、監督の公式ページなのかな。監督自身によるメッセージが割とちゃんと書いてあるので、おもしろい。メイキングシーンもあるので必見かな。よいです。

以下は、ネットに転がってていいのかな、ファイル名などからして劇場資料用のPDFのようだが、つまりそのままパンフレットとしても参照できそう。問題があると判明した場合はリンクは削除する。

  • https://claudiatomassini.com/fileadmin/user_upload/fieles_from_old_website/filmstills/Endlessness/AND019_Pressbook_Digital.pdf

以下は、本国でも公開前に執筆された記事のようだ。記事内では、ゴッホの《La Guinguette》に影響されたシーンもあると監督が言っているようだが、そのままそれと判ぜられるシーンはなかった。シーン 17、19 が近いかな。

以下のインタビューも示唆が多く、ボブ・ディランが参照されていることに触れているのは、見た範囲ではこの記事だけだった。シーン 26 が好きと監督が言っているのもこの記事だ。

以下の記事は、各シーンの解釈については 1 番参考になるかな。ちゃんとした批評サイトの内容って感じだ(テキトー。

また何か読んだり、気づいたら追記したいがとりあえずはここまで。

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