《透明人間》(2020)を観た。もう上映はほとんど終了しているのではないか。自分は見るかどうか決めかねていたのだが、リー・ワネル監督の作品の《アップグレード》(2018)が楽しかったので気にはなっていた。

リー・ワネル自身はそもそも SAW シリーズで有名になったようだが、脚本や総指揮、出演こそすれど監督としては参加したことなかったのだな。どういう経緯なんだろうか。ちなみに、私は SAW シリーズはまったく見たことない。

ところで制作には《ゲット・アウト》(2017)や《ブラック・クランズマン》(2018)などのジェイソン・ブラムが入っている。

主演のエリザベス・モスは《アス》(2019)に出演しているし、この辺に縁というかコミュニティがあるようにも思える。まぁ余談だね。

透明人間という題材だが、ウェルズの原作を基点として最初の映画《透明人間》(1933)があり、そこから同じテーマでさまざまな作品が生まれたようだ。 1933年 の最初の作品は未見だが、2000年の《インビジブル》は私も映画館で観た。こちらの作品は、誰にも認識されなくなった恐怖と不安が狂気になっていくというプロットだったと記憶している。

話を戻す。監督の前作《アップグレード》は良質な B 級映画という印象が強かったが、本作は脚本のケレン味がほどよく配合された良質なホラー、SF、サスペンスになっっていたように思う。世界観や登場するギミック、透明人間のシステムの設計がかなり現実的ぽっくて、フィクションを楽しむために動員すべき割り切りや、へんなシラケがかなり抑え気味だ。

というところまで書いたが、いまいち感想がまとまらない。なんだろうなぁ。特に印象に残っているトピックだけ挙げておこう。

エリザベス・モスの演技がよい。セシリアの狼狽するところ、顔面蒼白(文字通り)になるところ、冷静になるところ、いろいろな表情を楽しめる。《ヘレディタリー/継承》(2018)のトニ・コレットの演技を連想してしまった。屋根裏のシーンなんかも絡んでいたので、なおさら。

ラスト付近の食卓に用意されたワイングラス。完全に円柱状のグラスになっており、あまり目にしないタイプだ。非常に印象深かった。この道具に限らず、割と監督は画面内に映る小物の配置などに、こだわりが大きいのではないか。

剣はペンより強かか

結末にはいくつかの解釈(深読みの余地)が用意されているようだが、私としては割と表面的に描かれたとおりの物語であるとしたい。彼女が果たしたエイドリアンへの復讐は、その手段から明らかなように妹エミリーへの餞であるように見える。

本作、ペンが割と象徴的に使われている。上述の小道具へのこだわりにも関連するだろうか。結局のところ、ペンはナイフには敵わなかった。

ゼウスはどこへ消えた

そういえば私としては、この点が 1 番気になっている。そもそもセシリアは冒頭でゼウスをどうしたかったのかがよく分からない。そしてゼウスと再び出会ったときの状況も不自然(ではないとされる)であったが、それもスルーされる。

その後、ゼウスは姿を消してそのまま終わってしまう。

…先ほど「私としては割と表面的に描かれたとおりの物語であるとしたい」と書いたが、飼い犬のゼウスが文字通りゼウスであったとしたら、この物語の解釈はどうなるか…。セシリアのお腹のなかにいるのは誰の子なのだろうか…。考えたくないですね。

透明であること、または視界が開けていること

「透明」というテーマは本当に奥が深い。対象が視える、あるいは視えないというのは、日常的にも学術的にもいろいろな切り口から考えたり論じたりされえるテーマでしょう。こと人間に限らず、透明であることがどういうことであるかというネタを扱った作品には興味があるね。

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