《ドロステのはてで僕ら》を観た。そこまで見る気もなかったのだが、予告に魅かれる部分もあった。映画を見終えてから脚本の上田誠のインタビューを読んだが、たしかに作品の構造は、やや理解しづらい。時間モノに慣れていないとなおさらだろう。個人的にはおもしろかったけれども。

本作を語るに『カメラを止めるな!』が引き合いになることも少なくないようだが、前後の幕で大きな 1 つのネタバレを披露できる「カメ止め」に対して、本作はネタバレ(というかギミックの作用)を 2 重に、しかも脳内で走らせるしかない。作品内のネタバレは並行する時間軸を想像するしかないし、作品外のネタバレは純粋に製作現場を想像するしかない-「カメ止め」の2重性はやっぱり分かりやすいのであった。

しかし、なんだかんだで本作は劇場で観なければいけない-観たほうがいいに決まっているのだが、ここにも少しばかり難しさがあって、周囲の鑑賞者がどれくらい笑っているのかが気になってしまうというややオタク的なチキン問題も露呈するのである。…まぁ些細なことか。

本作のギミックのひとつとして登場する「ドロステ」効果は、作品内ではいわゆる合わせ鏡の原理として登場する。ここに時間差という作用としての SF 的な発想が加わって物語の軸をなす。いくつかの時間軸が描かれるが、場面は基本的にはひとつの軸上だけで進行する。簡単には 2分 ずつずれた同一の世界が合わせ鏡の向こう側にある。

いたずらにではなく時は流れる

というわけで作中では、2 分前に予告された事象が 2 分後に発生する。これは実際の時間経過、および作品内のそれとほぼほぼ一致しているはずで、私は序盤の 2 箇所でカウントしながら視聴していたが、たしかにディスプレイ内から発せられたカトウの発言は、たしかに 2 分後に別のディスプレイに向かってカトウから発せられていた。これは実際の経過時間の話だ。

作品内の時間経過というのは、つまり本作はワンカット風に編集されていて-実際には 7 つほどのカットで構成されているらしいが-、動き続けるカメラはスローモーションや倍速処理しない限りは-時間は原則的に等速で進むはずなので(ネタです)-、ほぼそのまま作中の経過時間と一致する(はずだ)。

ついては、かなりキッチリと管理された時間のなかで演技・演出がなされているわけでこれは凄いこと、なんだと思うけど、ようわからん。余談だけど、こういうテクニックを駆使されると、どうしても筒井康隆の『虚人たち』を連想してしまうね。

なんか朝倉あきがいるじゃないか

『七つの会議』で朝倉あきをはじめて認識したのだが、割とよく目にするような、でもそうでもないようなイメージを纏った俳優(実際によく目にするという意味ではなく)で、本作のキャストに彼女が入っていることを鑑賞の直前、当日朝の予約時に気づいたのだが、映画館の座席に座ったタイミングではすっかり忘れており、登場してからも気がつかなかった。

しばらく眺めてて、この女優さんの声はどこかで聞いたことあるな? となった段階でキャストのことを思い出した。インタビューを読むと、ここの配役だけはヨーロッパ企画と普段のかかわりが小さい俳優を選びたかったという意図があったらしい。納得できる。直電してオファーしたというエピソードはおもしろかった。なお、私はメインメンバーを固めるヨーロッパ企画のことはよく知らない。

彼女はなんというか声が通る俳優で、それが美しい。ハリのある声とでも言えばいいのだろうか。そういえば本作は彼女のほかの俳優、女優さんは劇団俳優ばかりなので、みんな発声がよい。こういうところもおもしろい。イシヅカ役の本多さんはやや滑舌が悪かった気がしたが、それはそれで目立っていておもしろかった。

ドロステのはてとは何だったか

この作品でのタイムスリップは過去には効力がない。カトウの所有する 2 つのディスプレイが映し出す過去の限界はどこにあるのかも気になったが、これはどうでもよくなる。つまり、「ドロステのはて」が時間的な指向性を指すのであれば、言うまでもなくは本作においては未来を指す。

「はて」は 2 つあるように思われる。まずは 1 つ目。エンディングにてカトウが述懐した「未来を知りたくない」という態度のワケ。同時に、カトウの話に乗って自らもしょうもないエピソードを披露するメグミ。どちらも外部から指し示されたバカバカしい未来像。こういうのを退ける。あくまでコメディであるし、本当にくだらない理由ではあるが、思い出してみればチョットだけ沁みる。2 人の笑顔がとってつけたようにディスプレイに映ったのも好きだね。

もう 1 つのドロステだが、そもそも「僕ら」とは誰を指すのか。カトウとメグミをなんとなくカウントするとして、その他の 4名(アヤ、コミヤ、オザワ、タナベ)は僕らの内なのか。ヤミ金の 2名は? 客の 2名は? あるいは鑑賞者は? ベタではあるが避けようもない点でもある。好きなタイトルではあるのだが、どこに結び付けていいのか腑に落ちる落としどころがまだ見つかっていない。ざっくりと、ドロステのはてに私であるが、まぁいい作品だったなぁという感じで楽しめた。

その他

カトウが 5 階に上っていくシーンがクライマックスだと思うのだが、ここの音楽がよかった。最近の流行りっぽい気もする。調べると担当は滝本晃司で、バンド「たま」のベースを担当されていた方だ。なるほどな。公式ページに寄せられたコメントに拠れば映画音楽は初仕事らしいが、ヨーロッパ企画とは劇音楽のほうで 2009 年くらいから縁があるようだ。しかし、それくらいなんだな。

コミヤ役の石田剛太だが『幼な子われらに生まれ』に出演していたらしい。公式ページは無くなっているし、Wikipedia には記載がないし、どのような役で出演したのかわからない。もどかしい。

藤子・F・不二雄の名前が登場する。ファンにはうれしい。SF 短編が全 8 巻というのはパーフェクト版を指しているのだろう。メグミの好きな作品がどうしてこれなの? と笑いたくなるチョイスなのだが、カトウもこれを知っているのがよい。なんとなくだが本作については個人的には『ドジ田ドジ郎の幸運』を連想させられた。

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