公開されてすぐに《ジョジョ・ラビット》を観た。アカデミー賞ノミネート作品よろしく、平日の最終回だったが座席は 7 割ほど埋まっていた。

コメディのような調子を持っているが、少年の成長という点で人間愛を描いたようなニュアンスも強い。題材が題材なので、制作にせよ視聴にせよ慎重にならざるを得ない部分はあるだろう。鑑賞中に「こんな題材でこんなコメディっぽく楽しんでいいんだっけ」と冷静になってしまう瞬間もときどきあった。似たような感想はいくつかみかけたので、同じことを感じる人は少なからずいるようだ。

監督のタイワ・ワイティティだが、主人公のイマジナリー・フレンドであるアドルフ(言うまでもなくヒットラーのイメージ)で出演している。監督自身にも直近にユダヤ系の血筋があるとのことで、感じるところはある。脚本も本人だが、本作には一応、原作があるようだ。

主人公は 10 歳の少年:ジョジョで、ナチス政権の教育や宣伝が功を奏したのか熱心なナチス崇拝に堕ちている。とはいえ、彼は根は心がやさしい純朴な少年なので-だからこそ洗脳されたとも言えるのだろうが、行動と言動がチグハグしており、貫徹されるものでないことは明白だ。焦点は、その融解の過程になるだろうか。

偉大なる第三帝国が仮初の存在であることは、冒頭の少年兵キャンプのおけるクレンツェンドルフ大尉の挨拶から提出され、作中の大人たちは実は敗戦を覚悟している節がある。この前提が、本作のバランスを担保している。

少年向けの訓練合宿ででウサギを処理できず逃がそうとしたジョジョに対し、空想上の友であるアドルフはそれを良しとして「ウサギは勇敢でずる賢く強い」と励ました。これはなかなか皮肉が利いている。

ジョジョの母であるロージーは反ナチスで、息子の変節に混乱している面があるが、それは表に出さずに変わらず、愛を注いで接している。また、彼女は自宅にユダヤ少女エルサを匿っており、キャンプでケガをして自宅に居る時間が増えたジョジョが、それを発見してしまうというのが事の起こりだ。

ジョジョは空想上の憎いユダヤ人と、目の前の少女エルサとのギャップに苦しみつつ、徐々に融和していく。まぁ、そりゃそうだね。かわいいお姉さん女の子が突如として現れたら、純朴な少年は抗えない-というのは半ば冗談だが。

本作でもっとも悲しいシーンは、かなりオブラートに包まれている。すでに鑑賞の記憶が薄れてきているが、母はジョジョに愛は蝶のようなものであると伝えた。悲劇の朝、ジョジョは蝶に導かれて事態に直面する。しかし、その克服はかなり奇妙であったのではないか。そして本作でもっとも緊迫するシーンが訪れると-この題材の作品によくあるアレだ-大胆な方法でジョジョとエルサは難を逃れる。

アドルフ、最後に出てくるのは何処かなとワクワクしながら鑑賞していたが、最後の最後でエルサを秘密警察に渡せというところであったっけ。ここでジョジョはアドルフと決別することになるわけだが、ジョジョは「勇敢でずる賢く、強い」生き方を選んだ。これはアドルフ自身がジョジョに発したメッセージでもあった。

彼の選んだ生き方を実践していたのが、ジョジョの母ロージーとクレンツェンドルフ大尉ではないか。この 2 人は作劇場の都合があるとはいえ、自分なりの矜持を守り、できる限り信念に従って行動し、体制や情勢のなかでしぶとく生き抜いている、いたのであった。 クレンツェンドルフ大尉はジョジョを何度も救っている。

作中で私がもっとも好みのシーンは、川原での親子の散策で、対岸から 2 人を映している。大きな石の段が中央を横切って左下にポツンと 2 人がいる。ジョジョはまだ靴紐もまともに 1 人では結べずに、母の手を借りたが、この結び方は蝶々結びである。

母から紡がれた愛は、これを持って、たしかにジョジョからエルサへも伝わったということを思えば、この映画を甲斐もあったものだと実感した。

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