2018年、ヨルゴス・ランティモス監督の最新作。当時劇場で鑑賞して、しばらく下書きを取っておいたんだけど、整理して上げる。
とにかく笑えばいい
なんだかんだ、これはコメディ映画なんですよね。当年のいくつかの映画賞ではコメディ部門で出品されているわけで、やたらとシリアスなので飲み込まれがちだけど、どこもかしこもふざけている。私が1番笑ったのが鳩撃ちのシーンで、アビゲイルの射撃によってサラの顔が汚れるところ。まさに面汚し。アビゲイルがマシャム大佐を処理したシーン(2回)も絶品の趣味の悪さで笑うしかなかった。劇場で一緒に見てたひとたちはあまり笑ってなかったけど。
本作、ほとんどのシーンを自然光で撮影したとのことらしいが、どの情景も、それぞれの登場人物の心象をうまく反映している。女王の自室は、どの時間帯でもほぼほの暗いままなのだけれど、廊下はいろいろな表情を見せる。本作の主役は廊下と言っても過言ではなかろう。というわけで、廊下に焦点をあてたメモを記す。
暗さにも種類があり、明るさは暗さを強める
蝋燭が照らす
第1に暗い廊下。時代が時代だけに、夜は完全に暗い。闇を照らすのは蝋燭のみ。暗い廊下を照らす蝋燭は繊細で美しく、同時におどろおどろしさを演出する。大きく覚えているのは2箇所だ。
まずは、夜会の最中に女王が癇癪を起こすシーン。サラに連れられて自室へ戻るなか、廊下には異様なほどの数の蝋燭が配置されている。ディズニーランドのアトラクションかというような装飾具合。女王の機嫌をとるためにサラは、徐々に車椅子のスピードをあげていく。狂騒というか狂走であって、ほの暗い廊下を駆け抜けていく女王とサラは、まるで魔女のよう。まぁ、そういう(どういう?)秘密をかかえているんだなという憶測が立ち、割とあっさりと開示される。
もう1箇所は、正にこのシーンから反転した状態にある。女王に嫌厭されたサラが頼りない蝋燭を1本たずさえて、秘密の廊下を歩いていく。女王の部屋に向かったのである。女王の寝台に直通している扉を開いた彼女の灯りに映った光景とは。いやー、ズルかった。
廊下に戻ったサラはショックでフラフラと歩く。全編に渡ってしっかりピシッとしている彼女だが、このシーンだけは例外的に不安定で、それが表現されている。ふらふらと左右に揺れる蝋燭は危ない。この映画の蝋燭、どんだけたくさん灯がともっていても火事になりそうな気配はまったくなかったが、さすがにこのシーンだけは燭台をこぼさないか心配だった。完全に名シーンですね。1番好きかもしれない。
太陽が照らす
第2に明るい廊下。印象に残るシーンは1本だけだったが、かなり重要だ。女王に気に入られはじめたアビゲイルは、彼女の車椅子を引きながら気持ちのよい陽の射す廊下を移動していた。そんななかで2人が耳にしたのは、中庭で演奏される弦楽四重奏。窓辺から中庭を見下ろして微笑みながら聴きいる2人。あからさま過ぎるくらいに幸福な情景で、このまま終わればハッピーエンドかとも思われる。狂走していた2人との対比も見事だ。
一転、女王の気が触れてアビゲイルを拒絶。車椅子を蹴飛ばしてヨタヨタ歩きながらも暴走。歩行もままならない彼女は、フラフラと廊下を彷徨しはじめる。グルグルグルグルと歩き回り、しまいには自分がどこにいるのか分からなくなる始末で、そこらにいる衛兵に八つ当たりをはじめる。女王が溜めこんできた業は、明るい、昼間の、美しい廊下には耐えられない。ましてアビゲイルが癒す、癒せる類のモノでもないことがハッキリするのであった。
監督ならではの森、その役割
過去作《ロブスター》《聖なる鹿殺し》を見るかぎり、監督は木立のなかにカメラを走らせてギュギューッってやるのが好みだ。《ロブスター》は半分は森が舞台であったし、《聖なる鹿殺し》は都市から自宅への経路は郊外を抜けるときに、木立のなかを小気味よく駆けていった。本作はどうか。本作では馬が森を駆けるが、目立ったシーンは3つかな。というか、屋外のシーンは庭以外は森だけなんだよね。
キッカケの疾走
アビゲイルが森を駆けるのは1回(森にいるシーンは2回かな)。それがここで取り上げる3回の森のシーンの最初。痛みに苦しむ女王への薬草を採取しにいくところだ。下働きレベルの彼女がどっから馬を調達して乗ったねん、というツッコミが成立するということは、それだけの強引さが求められたということで、それがアビゲイルの執念すらも表していると捉えられなくもない。
女王の変節
女王がサラと乗馬に出るシーンがある。駆けるというか散歩だが、サラと女王の分岐が決定的になる場面である。直前にサラが女王に乗馬の装備を着せている描写があるのだが、甲冑のような木製の乗馬具が拘束具のようにもみえ、2人の関係性がエグく視覚化される。散歩での話題はアビゲイルであり、女王の気持ちはアビゲイルに傾ていることが本人の口から明らかになる。
訣別のサラ
アビゲイルの努力、策略によって女王から遠ざけられたサラが城外に飛び出していく。暗い夜の森を駆ける。サラはこのとき、馬から身を落として大怪我を負う。怪我の原因はアビゲイルにある。アビゲイルによって森は女王を癒すためにも使われ、サラを追い落とすためにも使われた。便利過ぎるだろ、森。
という感じで、ランティモスの森を堪能したい。
まとめ
たしかに前作の《聖なる鹿殺し》よりも作家性は丸められているように感じるが、それにしたってヒドイ作品で(褒めている)、なんという後味の悪い最高の作品を大スクリーンで鑑賞できるのか。アカデミー賞にはあまり興味がないが、今回ばかりは感謝した。
ヨルゴス・ランティモス監督、Twitter などで検索すると「変態」というキーワードをよく目にする。なるほど、否定できない。だが、私本人としては、この監督の脚本面での作家性は大仰に言うと「人間の美醜、その一義-両義性の追及」にあると思っている。
Last modified: 2021-11-30