角川シネマ有楽町で《よこがお》を観た。
この劇場では、その回が最終だったらしく、クレジット後に監督の深田晃司が挨拶に登場した。メチャクチャよさそうな人だった。話題作《淵に立つ》(2016)を私は観ていないが、前作の《海を駆ける》(2018)は劇場で見てそこそこ楽しんだ。《よこがお》だが、以前に予告で楽しそうだなと思ったまま忘却していたが、ひさびさの映画熱にタイミングよく鑑賞しただけのことで監督のことは意識していなかった。
まだ上映している、これから上映する映画館もあるようだが、深田監督がなんでもいいから拡げてとおっしゃっていたので、役にも立たないだろうが、感想をアップしておこう。直接のネタバレはしないが、描写などについては踏み込むので、気になるひとは気をつけてほしい。
あらすじを述べる。訪問看護師の市子は近々結婚を控えている。同僚のシングルファザー医師との結婚である。市子は、非常に面倒見がよい人物で、訪問看護先のひとつである家庭の長女である基子、次女であるサキとも親密にしており、3人で勉強することもよくあった。物語は、ある事件をきっかけに一転した市子の生活の顛末と、彼女の泥臭い抵抗を描く。
本作をどういった面から感想するとクリアになるか、難しいが、そうだなぁ、市子の移動手段なんかどうだろうか。
自転車、タクシー、自動車が動いていく
訪問看護には自転車で向かう。件の家庭にも自転車で訪れ、自転車で事務所まで帰る。自宅から事務所までは徒歩で向かっているようだが、その距離感はよく分からない。事件の経緯とともに自転車を駐める位置にわずかな違いが生じる。自転車を扱う足取りも違う。冒頭では健やかに軽やかに運転していた自転車だが、事件が起きたあとには重たい枷のようになっていた。ははぁ、おもしろい。
市子がタクシーに乗るシーンがある。本作では、自転車に次いで登場する移動手段だ。カメラの方向などはあまり覚えていないが、そこそこの大きさの幹道を通っていた。路面沿いのレストランの看板が首都圏郊外の地域の田舎臭さを感じさせる。物語的にも、この時点での市子は、事態に翻弄されはじめている段階なのだが、このタクシーも結局は目的を果たさないままフラフラと動いていくのみであった。わはぁ、おもしろい。
婚約相手の自動車に乗るシーンはおそらく2つあった。片方は停車している車中での会話、もう片方は引越し先の内見へ向かうための乗車、この車で移動しているシーンはハッキリとは描かれない。ひゃぁ、おもしろい。
とうとう市子は自分の自動車を運転する(婚約相手との車のシーンがもしかしたら前後しているかもしらん)。軽自動車だったかな。洗車機で車を洗うシーンがあるんだけど、本作で1番好き。洗車機のなかにいるときって少なからず非日常感があって、いいんだよね。フロントガラスの水滴が囂々と鳴るドライヤーで吹き飛ばされていく。美しい。
で、せっかく洗車した車だが、諸般の事情で乗り捨てなければならなくなる。このシーンもまたいい。このあたりは個人的に緊張のピークかな。そもそもこのとき、どこに向かっているんだか鑑賞者には明かされないし、市子もよくわかってないと思われる。そんななかの顛末なので、言ってしまえばとても分かりやすい情況なのだ。おっほっほ、おもしろい。
最後、エンディング付近だが、車を乗り換えている。いろいろなことが終わったあとであり、ハンドルを握る彼女もある種の逞しさを備えている。事件は終わったものの、最後の最後まで異常の極みが連続して描かれる。運命の交差点、鳴り響くクラクション。もうすべてが終わったと思っていた彼女に残された可能なかぎりの最期の悲鳴。やるせなさが、おもしろい。そののち、加速した自動車は、サイドミラーに映る市子の虚ろな表情を執拗に見せるが、ここまでの重なりを経たあとだと不安しかない。最後まで、おもしろいなぁ。
といった感じで、移動手段についてまとめたが、この作品のテーマ的な部分についてはぜんぜん触れたつもりはなく、基子、和道との関係などにも触れたいのだが、扱いづらくて困っている。書き足せることがまとまれば、また書く。
そういえば監督による原作小説も刊行されており、映画とは結末が異なるとのことなので気にはなっている(が、今のところはあまり手に取る気はない)。日本の映画は監督の作家性に頼りすぎているとしばしば話題になるが、こうして小説をしたためる方もいるのはどういう傾向なんだろうか。
Last modified: 2019-12-09