というわけで、7月号を読んだメモを残しておく。まだ8月号を半分も読んでないのに、もう9月号が届いた。かんべんしちくり。

表紙デザイン。中央のお馬さん(?)がかわいい。真っ赤なのはちょっとこわい。ボディがやたらと大きい。でも、かわいい。背景は日の出なんだろう。淡いオレンジだ。地平社のキャラクターかと思ったが、目次の右下をみると、スフィンクスや狛犬をイメージした今号用のキャラクターとのこと。なるほどね。

創刊特集 コトバの復興

「復興」とは、もともと「コトバ」が興っていた前提だろうが、どのような「コトバ」なのか。時代であれば、90年代か? 80年代か? もっと昔か? 論壇的な存在のことを指すのか? などと想像するけれど、私はいずれもイメージできないので、それだけだった。

流石に、掲載されているいくつかの記事がそれを指す内容となってはいた。

そういえば、東浩紀は「言論」を「ゲンロン」として雑誌『ゲンロン』を立ち上げたが、それを捉えなおしたいと言っていたっけか。しかし、「言葉」という漢字表現も、扱いが難しいよね。「葉」という文字のもたらすイメージが定まらないので。

しかし、復興と言われると、どうも、災害を連想する。これはどうなんだろう。

創刊にあたって

酒井隆史 〝過激な中道〟に抗して——新しい地平を切り拓く作業へ 

中道の過激化という話題。最近、目にするが、アメリカでは2010年代くらいから登場したとか。なんとかという雑誌の若手代表という方が、学生時代から標榜したスタンスらしい。歴史を辿ると、フランス革命の時代から、右派と左派による綱引きの繰り返しが政治であるのか、というテーゼが唱えられていたらしく、その延長として「過激な中道」という存在の問題があり、ポイントが列記されている。

まず、日本において、この手のイデオロギー(?)についての、メタ的な議論が少ないのは、そもそもこの議論の前提を押さえた知識層の絶対数が少ないからではないか。

議論は、あったほうがいいには決まっているだろう。みんながんばれ。

一方で、新規性がないというのは論じられている通りだが、まったくその通りと思う。この雑誌を手に取るにあたって書いたけど、イデオロギーあるいは陣営的な政治観には、まだ意味はあるだろうけど、それをどう克服していくかって議論が求められているんだろうし、そのうえで「過激な中道」という視点が、どれくらいそれに貢献するのかは、私にはよくわからない。

師岡カリーマ・エルサムニー 圧政者が恐れるもの——言葉のただならぬ重みをめぐって

師岡さんは、エジプトとのハーフとして生まれられた方らしい。存じませんでした。今回の特集をひと通り見ても、現地のジャーナリズムがどうなっているかは言及してる方は、あんまりいなかったので、その点の指摘はなるほど、おっしゃる通りだ。ハマスが反撃してるなんてのは、まるで見ないね。なにが「戦争」だよなぁ。

と言っていたら、とうとうアルジャジーラの記者さんも直接的に害されましたね……。

三宅芳夫 「リベラルな国際秩序」の終焉?——グローバル冷戦と米覇権秩序

学生時代に、近現代の世界情勢をほとんど学ばなかった身としては、頭に叩き込めという内容だよね。これを大前提として、世の中の動きに目を見張らないといけない。

雑に感想すると「リベラル」という武器は、それを信奉しちゃうと、その理屈に強固さがあるがゆえもあり、無謬に殴れる棍棒になりかねない。事実、そのように働いてきたと。

アメリカ主導の国際秩序を甘受してきた側として、それに抗する、あるいは反動のような現在の流れをどう見ていくかというのは、いわばフェアな視線ではありえないだろうけど、というか、文字面通りのリベラルをどう実現していくかというべきではあろうが。

さらにいうと「リベラル」に賞味期限がきているのではないか。っても、それを超克していくだけの力が人間にあるのかね…。

雨宮処凛 消費されない言葉を!——貧困の現場からの模索

「身につまされる」と、言うは易し。話を混ぜかえすつもりはないが、上記の「リベラル」に変わらず、これも「貧困」というキーワードに、私たちが振り回されるのをまず止める、そういう視点があってもいいのではないか。ごまかしとせずに、戦略的に。

もう少しフワッとした話になってしまうが、余裕がありそうな人たちも、心に余裕がない。だから現状が無視される。これは、他のトピックにも言えそうで、現代社会でそういうことがなぜ起きているのかという問いは、結局、話題が拡散しがちで焦点化されないのが問題なんだろうかな。

吉田千亜 言葉と原発 根を張る言葉、葬られる言葉

個々の苦しみや悲しみについては、何ということもできない。「問題の切り分け」といっても、簡単にできることではないけれど、うーん。

ちょうどたまたま出くわしたのが、こういう記事だったりしましたね。

尾崎孝史 (新連載)ウクライナ通信 ドンバスの風に吹かれて

どれくらいの日本人のメディア関係者が、ウクライナ、果ては危険地域まで出張っているのかは皆目わからないが、この方は、それなりの前線にいるらしい。連載1回目ということで、前提の共有のような内容だが、次回を楽しみにしていいのかという不安が、自分のなかに湧いた。

日本のメディアが、英語や現地語でなぜ発信しないか、そりゃ良くも悪くもターゲットが日本人だけだからだ(もちろん、筆者は、それをまったく良いことではないとの主張している)、というのは、確かにその通りだ。が、ほんなら、この雑誌も英語版なり、アラビア語版なり、ヘブライ語版なりがあってもいいだろうが、そうはならんだろうな。それもわかる。

阿部 岳 沖縄に倚りかからず

後半部分からの主張には、まったく同意で、上記のリベラルについての内容とも重複するというか、おそらく左派といわれる陣営が正面切っていかなければいけない問題なのだろうが、既存のワーディングで論なりを進めても、それまでの思考のフレームに概ね陥っていくだけなのではないかという。

しかし、この主張に発って、新しい論を切り開いていこうとすると、すでに割と破綻しそうな議論が、本誌に掲載されている別ジャンルの話題にも見えてくる気がする。それは当然、仕方のないことだし、向き合うには、大変なことだろうけど。

「過去と未来」の切り分けが簡単にできるわけではないが、何をが求めて次の一手を打つのかを、どのスケールの枠組みが、どういう利害関係のもとで事の賛否を決めていくのか、そういうのにコミットしてきたいですね。

神子島健 雑誌と同志——青鞜・世界文化・近きより

「コトバの復興」らしいテーマの寄稿だ。本論が概ね歴史だとして、次の「第三のジャーナリズム」は、歴史に対する対する未来を示す寄稿なんじゃないかな。そのうえでひとつだけ思ったのは、歴史的にこういったエンパワメントな思想、雑誌を支えたのって、やっぱり全体的に余裕のあるひとなんだよな。欠乏に足らないひとたち。

私は今回、フィジカルで本誌を読んでいるが、どうなんですかね。もちろん、紙であることが理由とはならないだろうけれど、雑誌が雑誌として読まれないというのは、思想に限ったことではないようなので、歯痒いですね。よくわかんないけど。

花田達朗 (短期連載)第三のジャーナリズム

旧来のマスメディアをあらわして、土台がメディア、建屋がジャーナリズムだという定義をされている。第三のジャーナリズムというのは、土台がインターネットと非営利の経済、建屋が探査ジャーナリズムというやつらしい。

そしてそれは「権力の作動とその暴力性を事実によって暴露し、真実を明るみに出し、持って権力の暴力と犠牲者の発生とが繰り返されることを防ぐ、そのための社会的実践」とのことだ。

それはそれとして、花田さんという名字、人文系でたまにふっとメチャクチャ優秀な方がおるなというのを知る機会があるんだけど、家系が近かったりするんだろうか。

緊急特集 パレスチナとともに

岡 真理 ガザ 存在の耐えられない軽さ 

「ジェノサイド」というのは、最上級に強い言葉じゃないですか。今回も、第一勘で「いや、これジェノサイドでしょ」って素人目で判断しても、なかなかそのように口にしたり、意識を固めたりするのが憚られるわけですよ。なので、ごく端的に、専門家がはっきり明言してくれるだけで安心するというのがひとつ。

本論でいくつか登場する「日本の主流メディア」というのは、おそらく民放を意識されている部分が強いとは思うが(大谷翔平が悪い)、結局、そういうことで、これらを「主要」と見做している私たち社会がある限りは、コトバは復興しないんじゃないですかね。

早尾貴紀 イスラエルの過剰な攻撃性に関する三つの問いをめぐって

今号のなかでは、イスラエルという国家の在り方についての認識や基礎知識を仕入れるうえで、最も役立つ内容だった。

百回くらい読んで、頭に叩き込みたいですね。近代社会と植民地主義、国民国家、それこそ19世紀くらいからの宿題というか、そういうのの精算が、20世紀の終盤でなんとなく終わったと思っていたことが、全然そんなことなくて、あらためて眼前にある。

ごく個人的には、日本は植民地主義の体制側だったという事実を、最近になって、あまり正面からに受け入れられていない自分を自覚することがあったので、いろいろブラッシュアップしていかんといけない。

ムハンマド・セーラム Photos:GAZA

写真が6点。パレスチナ人の写真家ジャーナリストだそうで、ロイター通信の所属。ガザには、犬と猫、どっちが多いんだろうな。猫だろうか。

栗田禎子 ガザ侵攻に抗うグローバルサウス

グローバルサウスという表現も、どうなのかなと思っているが、なるほど、ポジティブにはこういう扱い方ができるんだなという内容だった。上記の三宅芳夫「「リベラルな国際秩序」の終焉?」で顧みられていたように、アメリカのやってきたことの結果として、反動のような流れが形成されている。

そういえば、本誌は今号の全体ではロシアや中国について触れた記事はほぼないようだが、グローバルサウスは、このへんともバランスをとりつつ、極になっていけるんですかね。

日本は、外から見たらアメリカに従ったグループであるというのは、それは忘れがちだけど、そうなんだよね。別に、池内了さんを否定したいわけじゃないが、この辺の観点からも、なにかと「平和」を文句にしたスタンスの説得力の弱さを意識せざるを得ない。

三牧聖子 ジェノサイドを否定するアメリカ ジェノサイドに抗するアメリカ

今回の暴発がはじまった頃に、ユダヤ人が世界を支配しているという陰謀論的なソレが注目されていたが、そういう流れが生じても仕方がないというか、アメリカ社会の重要なポイントで彼らの力が作用している事実は否定しようがないってね、そのことが強烈に表出した。共和党の一部のメンバーが、これまた強烈なスタンスで大学を操縦しようとしているという事実は知らなかったので、さらに驚いた。

しかし、対して、若い人たちは自国の矛盾について声をあげている事実もある。これがアメリカの強さの根源でもあるはず(と思うけど)だが、ここから先は、どうなっていくんですかね。雑誌上では、続く座談会で、日本の若者も声をあげているよという内容となっており、雑誌の構成として、なるほどな、とはなる。

【座談会】杉原浩司×松下新土×古瀬菜々子×溝川貴己 暴力と不公正に声をあげつづける

4人の参加者のうち、3人が20代なのかな。感心する、と他人事でいてはいけないけれど、。いや、うん、自分のやれることを考えて実行していこう。

アーティフ・アブー・サイフ 軍事侵攻下のパレスチナから|中野真紀子 パレスチナの声を聴く

『ガザ日記』の著者の方へのイタリアの出版社でのインタビューの邦訳らしい。ガザを離れてヨルダン川西岸に生き延びたらしい。『ガザ日記』は、彼の発信をまとめた内容らしく、現在は11言語で出版されているとのことだ。

知層 News In-Depth

山本昭代 メキシコ「麻薬戦争」と新政権の課題

メキシコの「母の日」。行方不明となった男たち、その母たちの運動については未知だった。麻薬を取り仕切るマフィアと国家の中枢、保安部が腐敗して絡み合ってるのは、それはそうなのだろうというところだけれど、話が単純でないにせよ、どういった解決策を提案できるのか。

ひとつには若者のリスキリング、失業対策といった方策が打たれたようだが、道半ばらしい。世界的なロジスティクスの変動の影響で、メキシコに生産拠点を作ろいうという投資が増えているというのも、知らなかったような気がするが、日系、ドイツ系、中華系の自動車メーカーの工場はすでにあるんだっけかね。

小池宏隆 脱プラスチック社会へ——国際社会の動きと日本政府

脱プラスチックに向けて、政府間交渉委員会(INC)が開催されており、直近ではINC4がオタワであったとか。「野心高い連合」という積極的な国家のグループがあり、そのなかでもトーンはさまざまなようだが、日本はあんまりやる気がないと。このへん、SDGsなどもそうだけど、日本としては俺たちすでに割とちゃんと取り組んでるし感があるんですかね、どうなんだろう。

一方で、野心高い連合でも熱心な国としては、INC4ではフィリピンが台頭したそうだ。

武田真一郎 国は何を「指示」したいのか―地方自治法改正の問題点

新型コロナウイルス禍での失敗や反省がどう生かされ得るのか、というような議論は、私たち側でも、できないのだろうか。あるいは、今号のレポにもあったが、能登の震災でもいい。仮の住居すらまだ十分に配備されないらしい現状に対し、国からの指示とやらでマシになるなら、それでいい気もする。

まぁ、これは只の思い付きなので、実際に想定しうる議論かは別問題だが。

あるいは、辺野古の問題が、本文でも触れられていたが、やはりこれもスタンスとしては、もっと踏み込んで、国内あるいは近辺での有事を想定してる可能性は、単純に言って、もっと高いのではと思うが、そこは言及されていない。あるいは、縮小していくとされる国家、地方自治体の在り方自体に向き合わないと、この議論は地に足がつかないと思うが、どうなんでしょうね。

鈴木雅子 移民なき「共生」社会?——入管法改正の問題点

「移民なき」という論は、自民党の定義するそれが国連のそれと乖離しているという点を根拠にしている。国際法が、日本国の法律が、自民党内の文書がという話はしたくもないが、少なくとも本文を読むにあたっては、その前提に乗っかるしかない。

そうはいっても、実質的に日本は移民を受け入れている状況とは思われる。

もちろん、国の政府(を主に担っている自民党)の見解と姿勢、やろうとしていることが端々で彼らの人権を、現在進行形で害している、今後、より大きく害する可能性があるという議論は重要ではある。日本が外国人への基本的人権を守る気がまったくないように見える点については、大いに同意するし、私たちがそれに関心が向けられているとも思えないので、個別に向き合っていくしかないですね。

鼎談 岸本聡子、南 彰、内田聖子

地平社のシンポジウムの切り抜きなのかな、よくわからない。極右政党の台頭が顕著、という話題は8月号に繋がるんでしょうけど、どうなんですかね。メディア論だとか色々と話題になってはいるけど、他の論考でもそうだけど、日本社会が縮小していくという前提を忘れたような会話が稀によく発生するのはなんなんじゃなろな。

どなたかの発言で、Google の体勢について「内部不正」という言葉が使われたようだけど、そりゃ変じゃないの。話題の Google のやり方が褒められたものでないのは当然だし、批判されるべきものではあるが、何をして不正とするのか、特に「内部不正」という語が適切なのかは疑問だったね。

天笠啓祐 フッ素の社会史 PFAS問題の淵源 第1回 メロン財閥と「夢の物質」

PFAS(有機フッ素化合物)汚染、報道で目にするケースが増えた。それをフォローするための連載と思うが、今回は基礎編というか、歴史を紐解く。報道も増えているのでなんとなく気になるゲージは上がっているので、連載も楽しみなんだけど、どうしようもない気もしてきたんだよな。

佐藤 寛 イエメン——忘れられし者の存在証明

イエメン情勢を追った記事。連載なんだっけか。1990年代に起きた山岳部での内戦が世界的にまったく報道されず、注目を集めなかったと。国内を6つの地域にわけて統治する連邦国家としての運用が提唱されたらしい。

イエメンと言えば現状は国土の大半をフーシ派が押さえてみてみたいなことだと思うのだが、どうなんだろうか。

あと、この記事、途中の段落まるまるひとつ、数値が二重になっている個所がある。「二二〇」となるところが「二二〇二二〇」となっているなどだ。著者自身か編集か DTP か、いずれかのミスか知らんけど、割とダイナミックな誤植なのでビックリした。

電子では修正が入っているといいですね。

ルポ

七沢 潔 ルポ・震源地からの伝言 珠洲原発を止めた人々 第1回 孤立集落の連携プレー

要素としては2つ。能登半島の先端にある高屋という町。2000年代に原発開発を阻止した地域であり、今回の地震で被災して当初は孤立した地域であったこと。現地では残った人たちが海産物を回収したり、倒壊したご近所さんの家屋から飲食物を確保したりと、強かな被災生活が報告されている。東日本のときも、似たような事例があったと、今回あらためて注目されていたね。

地元の住職さんが「高屋は無くなっていくだろう」という旨のことをおっしゃっていたそうで、それを肯定も否定もできないが、正面から向き合うってこういうことだよな。

樫田秀樹 ルポ・会社をどう罰するか? 第1回 笹子トンネル天井板崩落事故

私はもうこの事故のことはほとんど覚えていないが、なるほど、個別に追っていくとこういう大変な事態だったのだなということがわかる。ネクスコ中日本の落ち度は、これはどう見ても落ち度でしかないようだ。

山岡淳一郎 ルポ・薬と日本人 第1回 市販薬依存 修羅からの脱出

射程としては「トーヨコ」などに集まる若者などにまつわる問題の全体像を扱いつつ、個別にて、危機的な状況に陥ってしまった事例が紹介された。つい先日、トーヨコで市販薬を斡旋するおじさんが逮捕されたっけな。

問題のひとつとなってしまっているメジコンの製造は増えるらしく、それを「資本の論理」と書かれているが、それは穿ちすぎなのでは。袈裟まで憎いかね。

後藤秀典 ルポ・司法崩壊 第1回 原発訴訟にみる最高裁の堕落

これは…、これは、アウトもアウトじゃないですかね。それなりにニュースを追っている気で生きているけど、フォローしきれていないな…。抽象的な想像の飛躍になっちゃうけど、こういう癒着って、インナーの利益というか、インナーの倫理なんだろうな。理念まで狂ってるとは思いたくない。そしてそれって、やっぱり前提となる倫理が覆い隠されているから起きる問題なんじゃないのって、なりますね。

栖来ひかり 台湾・麗しの島だより 第1回 移行期正義の練習帳①

連載ということで、台湾の「移行期正義」というのを解いていこうということらしい。個人的には、最近に若林正丈『台湾の歴史』(講談社学術文庫)を読んだばかりなので、土台となる部分への理解は早そうだ。

石田昌隆 Sounds of World 第1回 スザンヌ・ヴェガ

ミュージシャンを被写体にされている写真家の方の連載なのかな。1990年の来日での写真とのこと。存じなかったので、Spotify で聴いてみたけど、なるほど。雑誌っぽいですね。コトバの復興とのつながりはよくわからんけど。80年代、ニューヨークを経由してジャマイカ入りしようとしたというエピソードが面白かった。

池内 了 危機に瀕するアカデミア——軍拡バブルのもとで

この話題などは、上述の「沖縄に倚りかからず」などとコンフリクトしやすいのではないか。科学研究が積極的に戦争、軍事に関わるべきではないという理念は素晴らしいし、原則そうであるべきとしても、現実的な線引き常に求めるべきで、その最中であるのが現状ということでイイと思うが、日本の平和の成り立ちを考えたとき、現状に甘んじる立場というのは否定できないんじゃないのか。

小林美穂子 桐生市事件 生活保護が半減した市で何が起きていたか

この件も、酷いですね。詳細をはじめて読んだ気がするけど、ビビりますね。ガザ、パレスチナの問題と同じ誌面に載っているから意識せざるを得ないけど、こういうのも立派な迫害であるはずで、筆者はぼやかしているが、歪んだパターナリズムがあるんでしょう。そこにはそれなりの理念があったと思うので、それをどうルールのなかで生かしていうかってのが政治なんでしょうけどね。

清田義昭 七万冊を是とする—出版とはどのような営為か

量から質が生まれるという前提に立つと、大量生産って否定しづらい面が生じると常々、考えている。書籍出版における再販生制度の是非を判断する能力は、私にはないが、大きな倉庫に眠ったまま、最終的に廃棄されていく紙の束の多さには、なんともいえない思いはある。紙の値段も高騰しているようだし、フィジカルの書籍へのリーチはますます減っていくんじゃないの。

別の角度からいうと、多様性ってのは尊重されるべきというのが最近のテーゼで、本論の述べているような出版文化ってのはそこに当てはまることのように思うが、それって、みんなの見解が集まりづらくなるのと並行するんだよね。

これは、ベストセラーが生まれづらいという話題をイメージして湧いた考えだけど、「コトバの復興」について言えば、多様も多様なコトバの氾濫を肯定しつつ、誰か(地平社?)の正しかろうと思われるコトバを寄り集めていくということだろうので、簡単なことではないよな。

図書館との関係、個人系書店、出版と話題は尽きないが、これらはまぁ、今後の潮流のひとつとなっていくことは間違いないんでしょうね。というか、もうなっている。もっというと、出版ってもともとそういうものなんだろうから。

とか言ってたら、仲俣暁生の軽出版がちょっとバズってて、ほほーってなってる。

今福龍太 〈詩の親密圏〉へのいざない—『シュテファン・バチウ』をめぐって

名文。美しい。東欧圏、ブラジル、ハワイ、それぞれの地域、時代の詩の状況などはまったく知らないけれど、語られたエピソードだけで胸がいっぱいになる。もともと詩という媒体との距離が自分の中で定まっていないが、最近は若者も散文より詩に触れる機会が多いというし、本文でも書かれていたように思うが、本来的な詩の魅力は、詩人のパーソナルな部分なんだろうな。

大森皓太 風を感じる本

三鷹の個人系の書店経営者の大森さんという若者の読書案内、なのかな。はい。なんか、この大森さんという方がスゴイのはわかった。というか、どっかの新聞のインタビューで見かけた。


いろいろとグダグダだけど9月号が届いちゃったので、7月号のメモはこれで終わりにする。

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