ひさびさに知り合いに会う機会があり、せっかくなので楽しく時間を費やすコースを取ろうということで、Twitter でたまたま見かけた本展に出掛けてきた。中村橋に降りたこと自体が初めてであったが、美術館下にある図書館もなかなかよさげで、小さいながら公園も併設されているし、ここはステキな場所だなという印象を持つ。
展示は電線の普及前、ペリー来航後の西洋文化の摂取を開始した 19 世紀半ばから始まった。電線設備の実験設備のスケッチなどがあった。
言うまでもなく、電気、電線の設備は都会、重要地点などを中心に敷設されていくので、人通りの多い往来や街をテーマに描く作家の視界にはいやおうなく電柱や電線が映るようになる。もちろん、新しい存在の電線が主題となることもあるわけで、その変化が楽しめる。
第 1 章、まさに電線の普及と町の発展、西洋化が進む中での日本の風景だ。豊原国周の《東京高輪風凉図》が印象的だった。あまり出来がいい作品とは思わないが、ちょうど最近、遺跡が発掘された高輪のあたりが舞台だということもあり、旬と言えば旬だ。
夏の磯遊びをテーマにした 3 枚絵というのは、浮世絵の典型的なフォーマットのひとつだと思うが、近代化でこういう風になるんだね、という。
河鍋暁斎の《電信柱》は、やっぱり対象の捉え方が独特で、それっぽいね。月岡芳年も彼らしい絵だった。天狗かなにかがいたね。
第 2 章、電気の光ということで、凌雲閣がテーマになった作品や帝国議事堂の火災を描いた作品があった。個人的には楊洲周延の《上野公園乃夜景》がよかったね。中央の女性と右の女性、中央背後の女性 2 名の計 4 名には色がついているのだが、それ以外はモノトーンで処理されている。素敵だね。
第 3 章、都会はなにも東京だけじゃないということで、東京と西とをつなぐ電線も存在した、ということだろうが、富士山と電線を収めた絵画がやはりある。ここも小林清親が多かったが、まぁきれいだね。
第 4 章、岸田劉生が主で、その影響を受けた椿貞雄の作品も 1 点。神奈川の結核病院から描いたとかだったと記憶しているが《窓外夏景》がいいなと。
第 5 章、印象的な絵が多かった。松本竣介の《鉄橋近く》は、木炭と墨で描かれていたが、物体はかなり抽象的でところどころは何を描いているのか判別しづらく、シュールだった。
藤牧義夫の《隅田川両岸画巻》は、圧倒的だったが、ポテンシャルが分からない。藤牧義夫は本作を制作し、個展を開いたのちに失踪したらしい。24 歳だ。Wikipedia によると、お墓が館林市にあるらしいので、消息はとれたようだが、雑にググった程度だとそれ以上は分からない。
あとは、小絲源太郎の《屋根の都》もよかったね。バッキバキですよ。
第 6 章、ここまでで大体が 1930 年代までの作品となるが、この辺になると、あまり古さを感じない。川瀬巴水の版画などは色のよさもあって、すっかりカッコいい。個人的には小茂田青樹の《松江風景》が気に入った。
近くにあった近藤浩一郎の《十三夜》もよかったね。単純に好きなのだが、この作品には妙がひとつあって、近年では本作の描かれた箇所にあったはずの電柱は景観保持のために撤去されているそうな。時代は捻じれていく。
第 7 章、災害と電線ということだが、最初に展示されていた梅堂小国政《三陸大海嘯之実況》はやや古く、1896 年ということらしい。被災する人々の造詣は皮肉にもコミカルに見えた。その他、東京の震災の絵などがあったが、割と残っているビルなどもあるのだなと、逆に感心してしまったね。
第 8 章、東京の拡大ということで、高田馬場、落合、板橋、練馬あたりを題材にした作品がいくつかあった。これはこの美術館との接続もそれなりに意識されているのではないかと勝手に想像した。
第 9 章、木村荘八の挿絵を中心にした東京の景色、朝井閑右衛門の電線風景の作品が幾点かずつあった。後者、はじめて見た気がするけれど、これほどすごい作品があるとは、とは。これはもう電線というか配線の狂気で、サイバーパンクの世界だ。ちょっと凄すぎた。
第 10 章、「碍子」ということで、電線を支持するための絶縁体、でいいのかな。ほとんどが日本ガイシ株式会社から提供された展示品だった。つまり実用品であり、工業美術にカテゴリーできるだろう。室内用のレジン製の碍子がひとつだけ展示されていたが、それ以外はすべて磁器製だ。ガラスの向こうに並んでいるとまさに芸術品然としており、おもしろい。
同じく展示されていた碍子をテーマにした掛け軸画:玉村方久斗《碍子と驟雨(紅蜀葵)》が最高によかった。もともと対となる《碍子と驟雨(梧桐)》とともに制作されたらしいが、現在はどちらも京都国立近代美術館に所蔵されているらしい。これは見れてよかった。
第 11 章、現代作品だ。あまり知らないのだが、山口晃などがあった。阪本トクロウの《呼吸(電線)》が好きだね。同じ作家の作品をどこかで見たことあったかな。ちょっと曖昧だ。
なんかいろいろと考えたこと
絵画芸術のモードの変遷などは知らないが、本展の内容がたとえば第 10 章の《碍子と驟雨》は制作が 1943 年で、あるいは朝井閑右衛門の作品が 1950 年代である。以降はどうなのか。阪本トクロウの《呼吸(電線)》は 2012 年の作品だが、これは「呼吸」という日常をテーマにした作品群のひとつである。
もちろん、本展で主に展示された作品年代以降も電線がモチーフになった絵画はあるだろうけれど、まとまった展示に至らなかった理由としては絵画芸術の勢いの衰えや電線が日常になったことが理由とはなりそうだなと。当て推量の域をでないけれど。
一方、アニメーションなんかでは電線や電柱が象徴的に使われることは未だに多いような気がして、これはエヴァンゲリオンなんかで顕著とされたように思う。だが、エヴァンゲリオンの場合は、監督が特撮から受けた影響も多かろう。
実際、70 年代にバラエティ番組に登場したという デンセンマン とやらの特撮ヒーロー、その電線音頭のレコードのジャケットも展示されていたっけ。
最近では電線は地中化も進んでおり、いつの間にか生活空間から減っていっている。まったく無くなる日も来るのだろうか。私は幼い頃に木製の電柱を見たことがあるが、最近はとんとみない。未だにあるところにはあるようだが、これも減る運命だろう。
逆に、碍子については、国内ではやはり陶器製が多いようで、これは面白い。
最後に。基本的には時代背景別となった展開だったが、電線なだけにちゃんと流れがあって、これはよく練られた企画だ。セクションの解説も作品ごとの解説もよく出来ていて作品解説の見出しは、ちょっと目を留めざるを得ないキャッチーさがあった。よい展覧会でした。
Last modified: 2021-04-14