《ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択》(2016)を観てきた。いつだったか映画館で見た《First Cow》の監督ケリー・ライカートが前作だ。日本では上映されなかった作品らしいので、DVDをスクリーンに映してるのかな、よくわからんけど。

マイリー・メロイという作家の『Native Sandstone』,『Travis, B.』、『Tome』という短編作品がベースになっているらしい。この短編作品がどういう形でプロダクトになっているのかはシラナイけれど、映画が原作通りだとすれば一応は同地で同じ時間軸なんだろうか…。

…ほぼAIに頼りきりだけど、調べてみたよ。裏取りはしてないので事実誤認があっても悪しからず、情報は適切にご利用ください。

そもそもは2つの短編集『Half in Love』(2002)と『Both Ways Is the Only Way I Want It』(2009)に収録されているらしい。で、『Native Sandstone』と『Tome』が1つ目の短編集、『Travis, B.』は2つ目の短編集に収録されているとのことだ。へぇ、てっきり『Travis, B.』は前者、『Native Sandstone』は後者だと思った。タイトルと内容からして…。

しかして、映画の原題は『Certain Women』ということで、特別ではない女性たちの田舎生活といった趣なのかしらないが、さすがに直訳的に邦題にするとぶっきらぼう過ぎたのか、ベタなタイトルになっている。仕方ないんじゃないかな…。というわけで、感想をやっていきます。

原作小説のタイトルと思われるセクションに区切っていきます。

冒頭、遠い山並みを画面上にして貨物列車がグングンと近づいてくる。物語が始まる。ジョン・フォードみたいなカット、と言っていいんですかね。ラジオがきこえてくる。

Tome

“Tome” とは大部の書籍で、要するに専門書などを指すらしい。本エピソードでいえば直接には弁護士である主人公を指すと思われる、田舎の弁護士、個人事務所、どれくらい優秀なのかはしらないが忙しそうだし、犬を飼いつつ生計は成り立っているんだろう。甘いランチミーティングも空しく、振られるし、妙な案件のクライアントはやっかいな存在に成り果てている。

そして物語の顛末といえば、中盤まではそうだよなという展開だが、終盤では思い切った事件が起こる。とはいえ、大した事件とも決着とも言いがたい。それが本監督の特徴であるらしいが、これくらいの長さでパキッとやってくれるので入り込みやすい。

主人公のローラは、足クセが悪いのかな。冒頭、ベッドサイドに座って着替えしている男性の背中をグリグリと足蹴に弄っていたシーンが印象的だったが、帰宅後のソファで寝ている犬にもグリグリやっており、可愛げがあった。

演じた俳優、ローラ・ダーンということでイイと思うが、大御所ですね。

“Tome” が “to me” にかかっているなじゃないという気もするが、どうなんでしょうね。

Native Sandstone

「砂岩」は作中で登場するのですぐにわかるが、”Native” は何にかかるどういうニュアンスなんだろうか。めんどくさいから考えないけど。朝の公園(?)をピチッとしたウェア姿の女性がウォーキングしている。川を眺めるあたりのカットで髪質も全然違うし、別の物語に切り替わったと認識できた。

ぬかるんだ地面をグリグリとやっているのが印象的だなぁと思っていたら、家族でキャンプに来ていたらしい。撤退の準備が進む。娘もいた。どうも、父&娘 vs 母 という構図があるらしく、一家の大黒柱は彼女らしい。娘は土曜の休日を家族サービスで潰されたことに苛ついているようだが、これが子供の我儘なのか、親のエゴなのかは微妙だ。

帰りに歴史的な岩を見にいくと父が娘を誘うシーンがよくわからなかったし、不機嫌な車は荒野(というほどでもないか)の一軒家に到着する。砂岩の山がある。これのことかよ。

開拓時代にこの辺にきた民団が最初に建築したのが学校だったそうで、砂岩の山はその名残で、主人公:ジーナはそれを利用して新居を建てたいらしい。そのバックグラウンドはほぼ語られないのだが、彼女の意志は固いようで、持ち主と想定されるお爺さん:アルバートに攻勢をかける。

アルバートは半ばボケがはじまっているのか、いまの生活、自分の若い時代のことなどなどをジーナの夫のリャンに向かって語りつづけるようで、それは要するに岩を欲するジーナを拒絶しているのか、そもそも彼女を重要人物と見なしていないのか、悩ましい。

が、まぁなんとか貰い受ける予定まで漕ぎつける。家庭の不和はとりあえず置いておかれる。

アメリカと言えば車社会だが、このエピソードと次のエピソードでは特に車が重要とはいえそう。このエピソードの最後には外の風景を眺めるジーンとサイドウィンドウに映る山並みがモンタージュのように一体になって、しばらく映っている。

いわばジーンは野心家で、もっといえば開拓者精神に溢れていると言ってもよかろう。そしておそらく、地元を愛している。何の仕事をしているのかはしらないが、多分町なかではそれなりに稼いでいそう。何をか言いたいというと、ダラダラしてそうな旦那や娘なんかよりも、実はアルバートとジーンのほうが親和性が高そうなんだよな。そういったバランスを感じ取ったよ。

主役のミシェル・ウィリアムズ、『フェイブルマンズ』で見たことがあるらしい。母親役とか?

Travis, B.

他の人の感想を目にしていなくも気づいたと思うが、日本語の(おそらくDVDのパッケージ)ビジュアルには主人公と思しきジェイミーがいない。本国版のメインビジュアルには彼女もおり、タイトルのトラビス・ベスも含めて4人がいる。なお、本国の円盤パッケージは寒々しい山脈を背後にした風景写真がパッケージに採用されているようで笑った。人間がいない。

早朝と思われるが、馬小屋で馬の世話をする。やはり足で藁か何かを踏みしめるシーンが入り、足クセが悪い。世話が一段落したら、いったんお休みなのかな、布団に入る。夜に何処かに出掛けていく。こんへんの行動のバックグラウンドはあまりよくわからないが、学習機会が得られなかった大人向けの法学補講授業に潜り込んで、大きい町(リビングストン)からきている先生:ベスと交流を始める。

で、原作のタイトルが『Travis, B.』であるのは彼女が主体であるのか対象であるのか判断しづらいが、おそらく後者だと思っている。ので、主人公はジェイミーだろうに、日本のパッケージから彼女がオミットされていることに異論が多いようだ。面白い。私もそう思います。

とはいえ、これはリビングストン(モンタナ州の街、本作の中心的な舞台と思われる)から片道4時間離れた土地なので、ジェイミーがややアウトローであることには変わりないだろう。彼女は、季節性のバイトで牧場独居生活を営んでいるので、年齢の近そうなベスに話し相手になってほしいんだろう。そういった物語だ。

まぁ、もう結末の予想は着く。往復8時間の勤務など、ムリですから。

逆に、だからこそ、お互いの意志がどれくらい通じていたかは別にして、たったの数十から数百メートルほどだろうが、2人が乗馬して移動しているシーンはぎこちないながらも愛おしく見える。言ってみれば、これが夢のピークだ。先ほど、車社会だと書いたが、リビングストンから4時間田舎にいけば、まだまだ馬も普通だ(当然のように受け入れられる程度には。

そのことは、『Native Sandstone』とのつながりを感じさせなくもない。

ローラが終盤に登場するのはサービスでもあるだろうし、ちゃんと同時代であることを明確にする意図もあったろう。そういえば、ローラもベスも弁護士だ。その後、荒野に突き進んでいくジェイミーの車は、冒頭のシーンと重なって物語の終わりを意識させてくれる。

ベスを演じたクリステン・スチュワート、『カフェ・ソサエティ』で見たことがあるらしい。ジェイミーを演じたリリー・グラッドストーンは、次の作品の『ファースト・カウ』で見たことがあるらしい。どっちも覚えてないわ。

エピローグ

ローラとクライアントとの面会でのやり取り。高度でわからない。クライアントの妻が家を出ていったエピソードも謎だし、ローラが面会にきた理由もそこまで簡単ではなさそう。どうでしょうか。流石に原作だともう少し情報は多そうだけど。

手紙の返信をしてくれというのがポイントなのかな。

やはりキャンプ地である。皆にホットドッグ?を作って振舞うジーンは、こういうのが好きでやってるんだなって。そしてみんなと横になってダラダラするのも性に合わない。バンのトランク傍に佇み、煙草を吹かしながら砂岩の積み重なった山を見て笑みを浮かべる彼女はかっこいい。

二兎を追っているっぽいんだけど、そうじゃないんかな。

ジェイミーはあの後もしばらくは冬場の独居生活が続くようだ。ラジオからの途切れ途切れの音声がそう伝えている。うーん、なんだこの侘しさは。別にハッピーエンドであってくれとも思わないし、これがビターエンドとは言いたくもないが。

淡々とした生活がある。

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