《リモノフ》を見てきた。原題は《Limonov: The Ballad》だそうだ。2020年に亡くなったロシアの活動家:通称エドワルド・リモノフの生涯を扱ったような伝記映画と言っていいのだろうか。青年期からロシアでの収監-解放まで描かれている。
この人にまつわる情報を2020年頃に目にした気もするのだが、記憶もないし、情報も残っていないので、要するに知らなかった(書く意味のない事柄である)。ソ連時代に米国に亡命してニューヨークで暮らし、フランスに移住後にロシアに戻って活動家になったらしい。もともとの本業は詩人というか物書きということらしいが、よくわからん。
映画を監督したキリル・セレブレンニコフもソ連生まれだが、ゲイを公表しているらしく、それだけが原因ではないようだが、国(ロシア)を追い出されているみたいだ(あるいは脱出したか)。また、上映開始時のクレジットロールがやたらと長いと思ったのだが、フランスとイタリア、そしてスペインの共同制作らしく、それだけ権利関係がややっこしいみたいだ。どうしてこうなったんだろう。
と思って、Grokに尋ねてみたら、まさしく監督の立場の問題から資金集めやら後ろ盾やらの関係で、国際的な協力としたほうが企画を通しやすかったらしい。へぇー、ですね。サンキュー、インターネット。
物語はリモノフが1986年に地元に帰ってきて講演会かなんかに登壇するシーンから始まる。ゴルバチョフが書記長になり、改革を進め始めた時期なんだろうか。映画の後半ではリモノフの父がゴルバチョフに対して、「こいつがロシアを壊す」と罵っていた。この講演ではリモノフが知故の女から罵られていたのであった。
転じて、ハリコフ(ウクライナはハルキウ)時代のリモノフである。作中では60年代だったかな。ソ連の田舎といってもそれなりにデカい街だと思うが、こんなところでくすぶってるようじゃダメだ、モスクワに行かんとアカンみたいなノリで自称詩人たちのパーティーが催されている。まぁ、やつらは大抵が自称詩人だ。アンナだか忘れたが、彼女かなんかがおり、冒頭から早速イチャイチャしている。
途中でふと思ったが、この女の子は冒頭でリモノフを罵倒していた女性かもしれない。時の流れは残酷やらなんやらである。
やることをやったら次はもうモスクワにいる。70年代ということでイイと思う。やはり気どった集会でよくわからん詩を朗じるシーンがある。しかして本作、一貫して英語で演じられているので、その点からはロシアっぽさは皆無に近いのである。詩のよさはあまりわからないが、英語の音も日本語の字幕もダサく、これはどれくらい意図されているのかわからないが、とかく詩の才能があるようには思えない。
で、大都会モスクワでもイケイケな彼女を見つけつつ、地下出版界で頭角を現したのか知らんけど KGB だか情報省だかしらんけど面談するに至り、内通者になるか国外通報かの二択を迫られるような状況になったらしい。へぇ。
イケイケの彼女を強引に自分のモノにするシーンも醜悪でバカバカしく愉快だが、要するに史実的に本人の何が凄かったのかがよくわからんらしいのと同様に、奇妙な魅力がある人物らしくは描かれている。一見して破滅型の人間に思えるが、この人、なんやかんやで77歳まで生きているのである。どういうこっちゃねん。ペテン師かな?
というわけで、70年代の後半からニューヨークで生活保護をもらいながら生きていたらしい。映画(小説?)にしたがえば、イケイケの彼女も最初は一緒にいたようだ。
脚本のほどはしらないが、ご本人がセイコウが大好きだったのは事実だろうから作品の描写については「へぇー」とか「ほぁー」とか反応するしかないが、特別に美しいわけでもなく、かといって不愉快なほどみっともないともいいがたい描写が幾度となく描かれ、結果としてイケイケの彼女が離れていくので何とも言えない。去られたあと、そこのシーンは1番印象に残っているかもしれない。
ミューズがいなくなるんだな。知ったこっちゃないけど。
黒人男性と交わって生まれ変わったようなシーンが入ったあと、実際に生まれ変わるような事件に巻き込まれるようだが、この辺は創作が強いのかな。しかし、英語版のWikipediaにしたがうと、路上生活者たちと時間を共有したのはたしからしく、執事生活も事実らしい。パンクサブカルチャーと急進的政治に傾倒したそうで、このへんからアメリカでの生活にも雲行きが怪しくなってきたようだ。
80年代のアメリカを駆け抜けたような演出は子気味はよかったが、まぁ、それ以上に映像として表現することもなかったのだろう。いつの間にかフランスに移住している(ちなみに史実ではこのとき3人目のパートナーがいたとか)。
冒頭のほうから彼は言っていたが、彼はソ連は好きではないがロシアは好きなんだよな。そういったことでフランスのラジオ局かなんかのシーンが描かれているが、まぁ、そういうことらしく、本映画の批評的な側面というか、プーチンにしても、ナワリヌイにしても、心情的な根源は近いんだよな。偉大な祖国ロシアよ。
しかして、ハリコフは老父母のいる実家だかのアパートに、リモノフは帰った。ようやく冒頭のシーンと時代がつながる。講演終了時点でなんか誰かが話しかけてきたり、すでに公安みたいなのに目をつけられたりしているシーンがあったが、どんな会話が繰り広げられていたかは、すっかり忘れた。老いた親父が新聞の流布する陰謀論にハマっているのに身を細めていたシーンのほうが心に残っている。これこそメッセージ性のある場面なんだろう。
で、オマケのように、活動家としての行動開始後の彼のコミュニティ、ふたたび彼を政府サイドに引き込もうとするエージェントとのやり取り、その拒絶、収監生活(ほぼ短いワンカット)、解放までがハイライトで語られるが、あぁ、ようやく、こういう人物がいたんだなというオチとなる(いや、途中で気づいていたとはいえ)。
主演のベン・ウィショーがいい味を出しているんだわな。彼のファンは見にいった方がいいんだろうと思う。ほとんどの場合、映画鑑賞としては苦痛を伴うこととなりそうだけど。演じているところを他の作品で見たことあるのかなと思ったら、ダニエル・クレイグ版の「007」のQ役だそうで、言われてみれば彼の顔をしている。
しかし、国家というのはそれなりに歪んだ存在だといえるが、並行して誰彼の国家観もそれぞれが必要に応じて形を変えるものだろうが、それにしてもロシアの地の人々の其れはどうしてこんなに苛烈なかたちで湧き上がることが多いのだろうか。
Last modified: 2025-09-20