5月だったか、都合がよくてリバイバル上映の《心中天網島》(しんじゅう てんのあみじま)を観てきた。1969年、篠田正浩の映画だ。この監督の作品は初鑑賞かな? と思っていたがリストに目を通すと《梟の城 owl’s castle》を劇場で見ていた。そうか、あれは篠田正浩の作品だったのか。司馬遼太郎原作に中井貴一主演、不思議な映画という体験は印象に残っている。

本作、原作は近松門左衛門の人形浄瑠璃の最高傑作のひとつとされているらしいが、Wikipediaの記述を真に受けると「初演以降は上演が途絶えていたようで、」とあり、数十年後にアレンジされた作品がヒットし、それがキッカケで脈々と受け継がれているらしい。近松門左衛門の作品に心中は付き物であるような気はするが、当時にしてもビビット過ぎたんかねぇ。

まずは古典的な映画らしく、がっつりなオープニングクレジットから入るのだが、その背後で人形浄瑠璃のバックヤードやら監督がロケや演出について電話している状況が差し込まれる(電話の相手は脚本の富岡多恵子と思われる)。あれれ、アバンギャルドな作風だなと驚く。実態としては、製作の日本ATGなる会社が、アート系映画を主旨としていたらしく、ヌーヴェル・ヴァーグの流れを汲むのだとか。

同時に、クレジットに「天井桟敷」の名前が見えたので、ほぇーともなったが、なるほど演出を見ればこれもすぐにわかる。低予算映画との情報も目にしたが、作品のほとんどのシーンはスタジオセット、かつ演劇的な演出に溢れている。

黒衣がいる

つまるところ(?)、前衛的なな立て付けなので(?)、黒衣の人たちが画面内で暗躍(?)する。ちなみに「黒子」(くろこ)と呼ぶものと覚えて生きてきたが、正確には「黒衣」(くろご)と読むのが正しいらしい。彼らがなんで画面でワチャワチャと活躍するのかというと、低予算なりの工夫の結果でもあるんだろうけど、言うまでもなく、そこは人形浄瑠璃の翻案であることを前面にする意図もあるんだろうな。

かっこつけていえば、登場人物たちの作中で取る如何なる動きも、その方向は既に決められていることがハッキリする。当然、彼らの望む、望まないにかかわらずである。このことは、特にクライマックスに顕著で、圧巻というか画面に呑み込まれそうになったものです。おそろしい作品でした。

岩下志麻、二役する

冒頭のクレジットで岩下志麻がおるやんと気づき、ずっと眺めていた。小春、おさんのどっちが岩下志麻やろかと思いながらずっと眺めていたが、どっちも岩下志麻だったとは。わはは、わからんかった。

化粧して着飾っている小春が美しいのはたしかだけどさ、眉を落としてお歯黒したおさんもまた綺麗なんだわ、これが。不思議なもんで、小さい頃は不気味としか思わなかったこの風習(お歯黒)も、馴染んでくると妙な味わいがあるというか。岩下志麻だからそう感じるだけかもしれないけれど、中盤くらいからは、おさんが輝いているなーっと画面を凝視していた。

中村吉右衛門(2代目)の顔がいい

生前この方が動いているのを見たことがあるかギリギリの年代である私だが、三枚目の情けない男を絶妙に演じつつ、顔がいいので画面が保つ。ズルいのである。なんといっても、狸寝入りしてるだけと思ったら、顔面が涙まみれになっているシーンなんて最高であった。メシがすすむ。

また、この優男が駄々をこねるように文句を重ねるシーンは、原作や本作における狙いのほどはわからないけど、(少なくとも現代的にはと私が思うほどには)笑いを誘う雰囲気にはなっており、しばしば笑ってしまった。作る側の意図やら皆の反応は、どうなんだろうなぁ。

展開をどう受け取るか

たとえば、嫁は実家に引き取られたけど、男は改心して本業に努め、子供2人を育て上げました、もう一方の女も、不幸とはなったけれど、なんやかんやで生き延びました、ちゃんちゃん。ってことなら納得はしやすいが、それで終わってしまって物語と言えるのかは難しいというか、逆にそれって現代的にはハイコンテクストにあたるんだろうか。「趣旨は不明瞭だが、これ以上の悲劇はいらない」のような立場表明になるわけで…。

少なくとも現代的には(当時でもそうだったのかもしれんけど)、治兵衛の行動原理がよくわからない(と私は思う)。若い娘に惚れた、だけじゃ中盤の転換点、この作品(映画)の中心となる紙屋における夫婦のやりとりも曖昧になるのではないか。逆に言うと、この転換点こそがキモであると考えれば、前後の、さらにはクライマックスすらオマケ程度と主張することはできるのではないか。

冒頭から、命を絶つのか?→なんだ、そういうことはなさそうだ→あれれ、危ないんじゃない?→あーらら。という順を踏むわけだが、あらためて、あれれ、危ないんじゃない? がキーポイントになる。で、この展開を導いたのは、立場的にはどう考えても被害者ポジションにいる、おさんなんだよね。

これが江戸文學のドラマツルギーというやつなんだろうか。

Comments are closed.

Close Search Window