2024年1作目の映画館での鑑賞は韓国映画『コンクリート・ユートピア』(2023)であった。原題は “콘크리트 유토피아” だそうで、英題も”Concrete Utopia”、もちろん邦題もそのままである。よいタイトルである。

韓国のウェブトゥーンが原作としてクレジットされているらしく、英語版の Wikipedia には確かに「based on the second part of webtoon Pleasant Outcast by Kim Soongnyung」と記述がある。だが、この情報をもとに原作を辿ってみても、うまくヒットしない。うーん。

災害映画、パニック映画、サスペンス的な要素が少々、群像劇的に描かれる。災害映画というと、昨年に見た『奈落のマイホーム』を連想したが『新感染』も描写は凄かったか。とはいえ、本作は災害のスケールが断然大きく、ざっくり言えば地球規模の破滅らしい。日本の作品であれば『日本沈没』や『ドラゴンヘッド』を連想するが、この手の作品が 2023年の韓国から来るのかという衝撃もあった。

と言っても本作、災害映画としての部分、世界の物理的な崩壊自体は背景であって、描写もほとんどない。しかし、その分だけ描写される破壊の様子はダイナミックで、冒頭でサラッと状況が提出された瞬間は思わず笑ってしまった。そう来るか! という。

また、韓国映画は社会風刺が如実な作品も多いのかなと思っているが、本作もその系統なのかしら、って面はいくつかあるが、ほとんど判読できていないなという実感もある。もどかしいね。

ウラチャチャ! 皇宮!

アパート(といっても高層団地のような感じ)の住民は部外者を追い出し、内部で安定的なコミュニティを築いていた。一方で、減っていく食料品や生活用品を賄うために、危険な外部世界に足を踏み出す必要がある。このときに音頭となるのが「ウラチャチャ! 皇宮!」という合言葉で、探検隊は自らを鼓舞する。「ウラチャチャ」は韓国語で「がんばるぞ」を意味し、「皇宮」は彼らのアパートの棟名のようなものだ。

これがおもしろいんだよな。耳に残る。「エイエイ! オー!」ってなもんだろうが、そうじゃないんだよな。音って不思議だね。

仮初のリーダー:ヨンタク

この作品の面白さ、言葉にしづらいので、ダークヒーローとしての主人公:ヨンタクの話に絞る。補足しておくと、主人公的なのはミンソン&ミョンファ夫婦の視点ではある。

冒頭、夫婦の抱えるちょっとした不安、不満が描写されると事件が起こる。火災が発生する。そこにヨンタクが自暴自棄のように飛び込んでいく。なぜなのか。途中まで、この雑に刈り上げたような髪型の風貌である町のオッサンしあがりの俳優がイ・ビョンホンであることに気づかず、やたらと遠藤憲一に似ているなと笑いながら見ていた。

X を辿ってみると、昔から顔つきが似ていることは指摘されていたようだが、今作の画面では本当にところどころで遠藤憲一にそっくりで、ビックリするものである。この印象を表明するポストも非常に多い。

で、話が逸れたが、ヨンタクになにかしら事情があることは鈍感でない限りは早いうちからわかる。アパート皇宮は、閉鎖的なコミュニティ、コンクリート・ユートピアを築くことで生き抜くことを選び、外部のコミュニティ(作中ではほとんど存在は示されない)と対立を深める。その音頭をとるのがヨンタクとなっていく。

いってみれば狂気のかたまりで、いや、リソースが限られる中でどうやってコミュニティをやりくりしていくかというテーマは人類にとって永遠の課題であり、芸術なんかの描写の対象であり続けるんだろうけど、この作品での戯画化は割とうまくっているように思う。

ヘウォンの帰還、ドギュンによる告発などを経て無理やり維持されていたヨンタクの統治する環境は破綻を迎える。ヨンタクはナカーマ達の前で最後の演説をはじめるが、このとき、なんか嘔吐してみせるんだよね、吐き出すものもないのだが。

この嘔吐が、彼の極度の緊張か、あるいは彼には吐き出すものもないことをあらわすのか、それ以上に意味のある演出だったのかとも訝しんだが、だとして、それがなんなのかは私には判然としないままだ。とにかく彼のおかれた立場の苦しみというのは、状況からして誰にも共有し得ず、共感も得られず。映画としては、ここがヨンタクのピークなんだわね。

ちなみに、ヨンタクの部屋には寝たきりの母親が居たようで、ある登場シーンで「寒い、寒い」と言っているように聞こえて、「ふぇ?」となったのだが、別のシーンで彼女にまつわる顛末があったときに「誰か日本語ができる人は?」という台詞が撒かれていた。

これも謎のひとつで、この母親はどうやら日本人の可能性があるらしい。ここではヨンタクの素性を詳らかにしないし、その設定が何かの直截な喩えとなっているともあまり思わないが、日本人としては苦い設定なのは確かだろうなとも。

好きなシーンをふたつ挙げる

立ちションと遠方の噴煙

ヨンタクとミンソンが遠征部隊として皇宮から離れているシーンで、小用を足している箇所がある。ミンソン夫婦の子供の有無をヨンタクが尋ねると、ミンソンが流産の経緯を語り、ヨンタクが謝るとともに自分の家族はアパート外にいるとちょっと漏らす。

で、2人の眺める景色の遠くに噴煙が上がっている。噴煙と書いたが、火山性のような爆発なのか、それとも別のなにかなのか、これがよくわからない。遠いといってもまったく移動できないような距離でもなさそうで、どうもなにかしらの喩えであるように私は思うのだが、これもわからなかった。

植木を育てるドギュン

ドギュンは皇宮への裏切り行為で居室の物資の押収や破壊にあう。生活することは許されている。で、裏切りの発覚前からだが、夫婦のミョンファは彼にちょっとだけ協力していたりする。そのシーンのひとつに、彼の居室に植木の苗のようなものを引き渡すシーンがある。

コミュニティ内で彼にそういう役職が与えられていたのか、あるいは彼自身の試みなのかしらぬが、アパートでドギュンは植物を育てている。ちなみに、これもヨンタクが絡む回想シーンになるのだが、そこで流れるラジオ音声にて、異常気象か氷点下をめっちゃ下る環境になっていることが示唆されている。室外では植物は育たない。

ドギュンは最後の告発の直前ほどのシーンで、荒れたリビングの片隅で植物に水をやっている。このシーンのよくわからなさは、本作の救いにもなっているように私は思う。

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本作、韓国映画でよくある儒教的な雰囲気はあまり感じなかったのだが、どちらかというとクリスチャン的なモチーフはそこかしこに援用されている。それを決定的にしたいわけでもないように感じたので、「援用」という表現にしたけど、しかし、ラストの救いは、どちらかというとそちらよりの普遍さの演出ではあったかな。心に響くとかではなかったが、個人的には。

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