『あしたの少女』を観た。韓国映画である。原題、英題はそれぞれ『다음 소희』『Next Sohee』だそうで、「次のソヒ」という意味だそうだ。原題に忠実な英題が、割と新鮮に思える、どうでもいいことだが。逆にこういうとき、邦題は固有名詞を一般化しがちな気もする。

かいつまんであらすじを説明する。語弊を恐れずにいえば、卒業間近な底辺高校の高校生:ソヒが就職斡旋先のコールセンターに研修にいくことになる。地獄のようなコールセンターの労働から徐々に心を削られたソヒは、ふと死を選んでしまう。

ここまでは前半である。2017年に韓国で実際に起きた事件をかなり忠実にトレースしているらしく、つまり本作は前半の部分はネタバレ的に既知のこととして鑑賞しても遜色がないとでも言えばいいか、心は痛むし、淡々と進むものの、飽きは感じさせられずに、よくできている。

後半はオリジナリティが高いのだろう。実際は、人権活動家が小さな記事から事件を追及していったらしい。当時はセンセーショナルに取り上げられたそうだが、徐々に風化していったとも。それが2020年の類似の事件で問題が再浮上し、本作もひとつのキッカケとなり、研修という題目の過酷な労働条件が是正に向かうそうな。

という情報は、公式サイトの Overview にて解説されている。が、私はいちおうパンフレットも購入して情報を補ってみたが、概ねこんな感じのようだ。

後半のオリジナル部分は、彼女の死に対処する刑事:ユジンによるコトのあらましの追求として描かれる。韓国の刑事やらのシステムは知らないが、たったひとりの少女の死に対して、執拗になっていくユジンの立ち位置はそれなりに説明されるものの、割と強引な進展で、まぁお話だなぁという感触は強まるが、だからといって本作の良さが損なわれるものでもなく…。

大前提、少なくとも彼の国の進学や就職の状況は日本よりも厳しいらしいという報道や噂は耳目しているが、韓国全体、あるいは舞台となる全州市の状況も私にはわからない、といえば、それはそう。

とはいえ、これは目に留まる感想の範囲では誰も触れていないが、上記のように私はソヒの高校を「底辺高校」と書いた。あんまりよい表現ではない。誤りかもしれない。とはいえ、彼女が学んでいたらしい「愛玩動物学科」って何なのか。ペットについて学ぶとかなのか。本来の就職先はペットショップとか? わからない。

推測でしかないが、日本の大学にたまにある謎の学科のように、ソヒ本人もよくわかないままこの高校に行くしかなかったという状況があったのだろう。親友の少女も学校を中退しているし(悪いとはいわない)、そんな彼女ら、彼らは昼間からの飲酒を半ば厭わない。

もちろん本作の描く問題、かかる件は社会システム、企業や学校を含めて大人が悪い、周囲の人間たちがいわば悪意もなしに悪い。だが、一方で、ソヒや彼女の仲間たちくらいの子らがギリギリ社会からはみだしそうな状況であることも確からしく、この点は忘れないでおきたい。なのでこの映画の解説や感想で「普通の少女」と言い切るのは、逆に見落としているのではないかな。「ふつう」はそれぞれとは思うが。

映画本編の話をする。

ソヒはなぜダンスが好きだったのか

いや、最後までわからないんだよね。マクガフィンじゃないけど。

冒頭、ダンススタジオでひとり練習するソヒが描かれる。彼女のおそらく唯一の趣味がダンスだ。これが、到底上手いようには見えないように演出されている。

もうね、渋い。

ソヒは両親とも仲は悪くなさそうだが、その実、お互いのことに立ち入りしない程度には希薄さもあるようで、映画本編中に両親がまともに登場するのが割と遅いことからも察せられるが、母は娘の死後にようやく彼女の趣味がダンスであると知った程度だ。当然、父親も知りようもなかったろう。

また、ソヒの足取りを追う過程でダンス趣味のキッカケを探るシーンがあるが、ダンススタジオの仲間も知らないのである。スタジオの「エース」だったのにである。彼女は近年の有名アイドルの振り付けをすべて覚えるほどにはダンスが好きだったらしいが、スタジオの仲間は(エースだったと言いつつ)実力はそんなだったもんね、とちょっと零すのである。

ソヒはなに苦しんだのか

一方で、彼女の本質らしい部分は、その真面目さ、誠実さにある。

冒頭、酒場(飲食店だろうけど飲酒してるんだよね、やっぱり……)で親友に対する陰口に躊躇もなしに立ち向かうシーンで端的に、その実直さが描かれる。あるいは上長の不審死におよんで会社の反対を押し切って葬儀に参列する。社内のいざこざについて、口止めを狙う誓約書には最後まで抵抗した。

そんななか、じゃあ顧客に不利益を与える業務に集中しろという段になると、どうやら好成績を収めたようで、顧客の足止め、邪魔のスキルを伸ばしたことも確からしい。不器用ではあるが、真面目さが上手く作用すれば本領を発揮するのだ。しかし、当然いい塩梅で生き残ることには注力できないので、周囲との諍いも増えていく。

物語では表面上、決定的な問題となったのは成果報酬の未払いであって、会社側との対立が完全に仕上がる。本作、高校の卒業が迫った 3 カ月間ほどが舞台のようだが、この未払い問題を端緒にした事件の謹慎の 3 日間がソヒの最期を示す。

業務の本来の目的、実際の内容の矛盾、周囲との微妙なすれ違いの結果は、自分の手首(でしょうね)を半ば事故的に傷つける自傷行為、そして最期の晩餐からの冬の貯水湖までの投身へと突き進めさせる。両親、親友、教師、友人らとの小さなやりとりの末、ボーイフレンドとは会えず、死へと優しい足取りをとる。

この間、冬季なのでアタリマエ、冒頭からだが、ほとんどが雪、積雪のシーンばかりであり、冒頭のダンススタジオ後の降雪、中盤のダンススタジオ扉から眺める雪、病院からの帰り道の車中での雪はそれぞれ別のニュアンスを帯びている。特に両親とのほぼ最期の会話として描かれたなかでの雪は、その齟齬が控えめながら決定的に描かれており、この作品の最期を予感させるには十分だった。

最期を決めた描写がなされたとき、本作で唯一(と思うが)劇伴としてポロロン、ポロロンと弦楽器のやさしい音色が彼女の足取りを追う。いやー、意味がわからないよね。そんな素敵なもんじゃないけど、そういうギャップを狙った演出なんですかね。

ユジン刑事のがんばりはどうなる

後半のパートについて語ることはあまりない、個人的には。刑事を演じるペ・ドゥナはトップ俳優らしいのだが、たしかに存在感がエグイ。かっこいい。黒が似合う。

1度、ソヒがダンススタジオを訪問したとき、黒服の女性がいた。この女性が、ユジン刑事かまったくの別人かはぱっと見はわからないんだが、ゆくゆく見ていくと、まぁ同一人物だった。2人は会話こそしたことがないが、ニアミスはしていた。そういう因縁付けはなされている。

彼女のキャラクター性については裏設定はそれなりにあるらしいが、結果的には映画本編ではほとんど表面化しない。なんか強そうだけど。

いくつかのシーンで、彼女は「学校で学ぶことは社会に出て生かされるためにある」のような至極まっとうな意見を述べる。同僚の部下も言葉を濁しながらも同意している状況が描かれていた。どうなんですかね、ちょっと記事の冒頭のグダグダに戻るけど、刑事になるようなエリートには見えない世界なんですかね。

おそらく、ユジン刑事だって「愛玩動物学科」出身の子がどういう職場に就職すべきなのかはわからないんじゃないかな。この辺は本作の限界にも思えないこともない。

話を戻す。

というわけで、ソヒの状況に同化していく彼女は、やはりソヒの最期の晩餐の景色をそのまま追いかける。このシーンでユジンが眺める貯水湖の湖面が異様に不気味で、ハッキリ言って今作でもっとも凄い映像だわね。

彼女のがんばりは映画本編では、少なくとも表面上は日の目を見ることなく終わる。

最後の映像はどう捉えようか

ソヒが最期の直前まで持っていたと思しきスマートフォン、最後の最後で発見される。データはすべて削除されていたということだが、映像が 1 本だけ残っている。そこには踊っているソヒの姿があった。

これね、上手く踊っていて冒頭のダンスの下手さ加減とはギャップがあるわけですよ。わたしは当初、あんまり深く考えずに、あくまでこの映像のなかではうまくダンスを踊って楽しんでいる彼女を見せたかったんだなと思った。

だが、パンフレットの監督インタビューには、「冒頭のダンスを練習して踊れるようになったソヒである」の旨で説明されている。えぇ!? ということは、就職(研修生)してからも彼女はひっそりと練習を重ねて、全然踊れなかった振り付けを踊れるようになったってコト??

微妙にそうは思えない。

あるいはすでに物語は幻想の領域に突入しており、やはり最初の感想に近いところ、つまりはある理想とでもいうべきか姿のソヒが描かれただけいう可能性もあるのか? いや、気づかなかったが、ここでこの映画が終わりを迎えているのは、地味に巧い。重く、気にすべきことでもないのかもだが…。

まぁいいか。

いずれにせよ、彼女や彼女に似たように追い込まれてしまう子供たちが少しでも救われることを祈ることに変わりはない。

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