あなたは愛せない|《アネット/Annett》

《アネット/Annett》を観た。奇妙なビジュアルの作品であることは認識していたが、そこまで関心を熟成できていなかったのは事実で、フォローしてるひとらが賛辞を送っていたので、観にいった。これは個人的には大ヒットな逸品で、現時点で今年の映画としてはかなり好きだ。

ネタバレと呼べる要素を大いに含むので、もし本作を未鑑賞で、内容は知りたくないという方は、読まないでほしい。

監督と過去の作品は知っていたが、見たことはない。前情報もほとんど無しで臨んだ。ミュージカルいう話だったが、別に歌って踊る感じでもないし、歌うにしてもガッツリ歌うという風でもないので、逆に音楽で感動したいという向きの人には合わない。

個人的に、歌が混じる映画はとっつきづらいが、本作では歌はスパイスというか、ストーリーや全体のギミックに大きく作用する面のほうが強く、そういう意味でも音がヘンに雑音化しないというか、違和感こそなかったし、これはこれでよい。

アネットのパペットたる所以

以下の3つの観点からアネットはほとんどすべてのシーンにおいてパペットでなければならなかった。説明するほどでもないし、野暮ではあるんだけど、自分用にもメモとして残しておく。これで大方、感想の主たる部分も述べたことになる。

  1. 単純に作劇の合理的な目的
  2. ヘンリーにとってのアネット
  3. アンにとってのアネット

ひとつめ。「生まれたとき」「留守番であやされているとき」「立ち歩きできるようになったとき」「歌えるようになったとき」「あるメッセージを訴えるとき」「父と面会したとき」それぞれのシーンで僅かずつ成長するアネットをどうするかという演出上の問題がある。

本物の俳優(子役)を採用する場合、少なくとも 3 回くらい役者を変更しないと、それらしい画作りはできないと思われる。で、それは難しいようねということでパペットが採用されたのだろう。

赤子の役をほぼ人形に背負わせることで、寓話性が高まるというか、突き放して話に入り込めるというか、異化効果と言っていいのか、そういう意図はあったろう。

また、人形はまるっきり CG というワケではなくて実物ベースで撮影されたらしく、日本で作るかみたいな話もあったらしい。最終的にはフランス人の造形師による人形を採用することになったとのことだ。

彼女の存在は、はじめこそ滑稽で不気味にすら見えたが、次第にそれなりの可愛さを生み出し、最後には感情移入までさせられる。これは見事だった。逆説的には、そう感じてしまう自分に対して、何だかなという感覚さえ生じた。

娘を愛すことをいつ覚えたか

ふたつめ。私にはヘンリーを憎めない。作中ではロクなことをしていないが、私にはどうしてもこの男が憎めない。同類への哀れみだろうか。憎めない。この男、娘を愛していたかというとおそらくは、ほとんどノーだが、完全に否定もしづらい。

アネット誕生のシーンで彼の流した汗、この描写は半ばギャグだったろうけれど、あれはヘンリーの感動そのものであって、娘への期待や希望と、そこに同居する不安が入り交じっていた。作中でやたらと汗を拭う男なのも注目したい。

ちょいちょいと挟まれるモノローグから、ヘンリーは、あまりまともな環境では育ってはいないことが予想され、心が重たくなる。アンの死後に一瞬でもシャッキとするのも面白かったが、それもアンの呪いによって逸らされていった。

さて、ヘンリーにとってアネットが人形であった理由だが、まずは正面を向いて愛せていないというのが単純にある。歌えるアネットを聴衆に晒そうとしたという素振りからも、これははっきりと示されている。

で、もうひとつは本当の父親ではなかったからだ。これも単純だ。

ヘンリーはアネットの名を呼ぶが、「娘」とはほとんど呼ばない。この台詞回しはごく自然にそうなっただけとも思えるが、結果的に意味ある形になったといえよう。

かなり微妙な点だが、ヘンリーには実の娘ではないという予感が元々あったようにも思うし、指揮者から明かされてそれを再確認、あるいは自覚したようにも思う。いずれにせよ、アンをあのようなかたちで失った彼に免罪は無いが、アンと指揮者によって不幸の種を事前に積まれていたのが彼ではないか。不幸にしか辿り着かない男が愛おしい。

アンにとってのアネット

みっつめ。初登場時、あるいは舞台俳優として成功後の彼女が送迎車の後部座席で林檎を齧っている。鑑賞後に思い返すまでは何ということもないと思っていたが、ざっくり言って悪魔の誘いを受けてしまった人物としても見れるだろう。

ぶっちゃけ、意味ありげに伴奏者のモノローグが開陳され、加えてアネットがこのようにパペットを利用して描かれた時点で、私には即座にアネットの真実が予想された。アンはヘンリーに負い目があった。そういって過言なかろう。

どの顔をして “We Love Each Other So Much” を歌っていたのか。私にはわからないね。

たとえば彼女は、誰もいない自宅の、さらに寝室を厳重に戸締りし、加えて洗面室に隠れるように入り、窓を開け、ひそかに煙草をふかしていた。このような彼女のことをヘンリーは知らなかったのだろう。彼女の秘密は多い。

言うまでもなくアンとヘンリー、あるいはアネットを含めた彼らの不幸の原因のひとつで、ヘンリーは劇場で死を続ける彼女をこそ知ってはいても、素の状態に近い弱い彼女については実はほとんど知らなった。そうに違いない。

しかし、ヘンリーが抱える闇についても、アンにも同様のことが言えよう。

前話が長くなった。

母親としてのアンが抱くアネットへの愛情に偽りはないだろう。が、作中の展開と作用としては、アンすらもアネットを道具として見立てている。それは決定的には、アンに宿された歌う能力であり、彼女はこれを呪いとまで言う。こんな親があっていいのだろうか。

伴奏者を含めた主要登場人物 3 名は、いずれも決定的な悪人ではないが、それぞれが解消しようのないエゴの問題を持っていた。付け加えておくなら、ヘンリーを主軸にして話が進むためか、個人的にはアンのそれは少し宙に浮いて見えた。

クライマックスに至っては「あなたと一緒に獄中で罰を受けるのは私よ」のような台詞、これは言うまでもなく自分への罰でもある。そこには罪の自覚があった。だからこそ、最期のあとはヘンリーと寄り添おうとしたのかもしれない。

あなたは愛せない

この悲劇全体の導火線を用意したのがアン(あるいは同時に伴奏者)だとすれば、それに火をつけて爆発まで処理したのがヘンリーだった。クライマックスにおけるヘンリーとアネットとのやりとり、どういう意味だろうか。明白なのかもしれないが、私にはよくわかっていない。これはアネットからヘンリーへの呪いか。

なぜヘンリーはアネットを愛せないのか。

「闇を覗くな」というヘンリーからアネットへのメッセージは、いくつか意味があるように思うが、あらためて考えてみると、ヘンリーは彼女の両親のどちらをも手に掛けている。その事実をアネットは実は知っているのか。

そんな人間が、それこそ手をかけた対象の娘を愛す理由はないということか。あるいは、娘自身がそれを拒むだけか。単純に後者では意味がないが……。

なぜヘンリーはアネットを愛せないのか。

以下、レビューやインタビューなどへのリンクです。

なんだかんだでエンドクレジットが好きです。