さまざまな愛があるらしい|『AWAKE』

Twitter での評判から『AWAKE』を観てきた。いわゆる正月最後の休みの日の、最初の回であったので、2021 年の映画初めと言っていいのかな。いい映画だったが、その良さをどう自分の中で消化したらしたらいいのか、咀嚼の仕方に悩んでいる。

本作、2015 年にドワンゴの主催で行われた将棋のイベント「電脳戦」にて実際に行われた 阿久津主税八段×将棋AI「AWAKE」の試合の顛末や、開発者の方の背景をベースに制作された作品だ。監督の山田篤宏は、のニューヨーク大学で映画を学んだらしく、直近では乃木坂のプロモーション映画の制作などを務めたらしい。商業映画デビューらしい。

映画では、同じ世代としてプロ棋士を目指した主人公の清田(吉沢亮)と浅川(若葉達也)、そしてその後、プロ棋士になれなかった清田とプロ棋士になって大活躍する浅川を対比しつつ、彼らを通して、将棋AI × プロ棋士 というテーマをぶつけてくる。

ついては 将棋AI のクセがひとつのカギとなっていて、2015 年当時、いわゆる「ハメ手」が決まれば将棋AI の対戦相手は、ほぼ勝ちを確定できる。そこで本作では、プロ棋士がハメ手を使うのか? いわば姑息な手段に出てまで勝利をもぎ取りにくるのか? あるいは、将棋AI はそこまでプロ棋士を追い詰めたのか? というところが醍醐味になってくる。

それぞれの主要人物たちの情熱がうまく表現されつつ、全体としては-テーマが将棋なのでこのように扱われて然るべしというニュアンスも兼ねて-、落ち着いた雰囲気を貫いていた点が好印象だった。

それぞれの登場人物の好きなシーン

なんというか、主要キャラクターたちの好きだったシーンを挙げておきたい。

清田:
すばらしかった。吉沢亮、名前は知っていたけどあんまり演技はみたことなくて、今回初めてちゃんとみたんだけど、上手いっすね。私が本作で 1 番好きだったのは、警察署から引き取られて父親の運転する車の後部座席で横になったときの演技で、カメラとの距離も絶妙ながら、ちゃんと父親に謝って感謝して、薄っすら伸びた髭と疲れがうまく滲んでいた。

浅川:
登場シーン自体はそこまで多くもないのかな。AWAKE との対局が決まってからの苦悩がメインディッシュな感じがしますが、棋神戦で優勢をひっくり返されて負けたあとに盤の前でひとり反省会しているシーンが良かったですね。あれは何というか、トップで活躍してる彼も余裕綽々ではなくて、結局のところ負けたくないという強い勝負心を維持しているからこそあの席に座っていられるというニュアンスと、来る対 AI 戦においてもその戦意に変わりはないということの布石でもあった。

若葉達也、『愛がなんだ』でヘタレ写真家の役をやっていて初めて見たんだが(この作品でもちょい役だったけど光ってたな)、今回はちょっと優等生役ということで、やっぱりよかった。2021 年の 4 月頃には初主演の『街の上で』が上映されるらしいので、ちょっと楽しみだ。

磯野:
清田の大学の先輩で人工知能研究会の仲間だね。いいキャラでバランスが取れている。変態キャラだと思いきや(実際にはそうなのだけれども)、清田の変態性、もとい情熱におされてしっかりしたサポーターになってしまっているあたりが実にいい男だ。

彼がもっとも輝いたなと私が感じたシーンは、欠点の判明した AWAKE の改修を猛烈に訴える清田を抑え込むシーンだね。あそこはよかった。

社交性がない清田が、磯野と祝杯をあげにいったり、「お前、女の子に興味なかっただろ」みたいなやり取りを交わしたり、そういうシーンがいちいち心に染みる。磯野君は本作の潤滑油なんだよなぁ。

その他のことなど

現実の出来事をうまくいい話に落とし込んだ脚本になっているという点は、ある意味では拒否感を抱く人も少なくないのかなという感想はもった。実際のところ、2015 年の電脳戦の子の様子は、さまざまな意見が飛び交ったようだし、映画みたいに一見して清らかな終わり方ではない。まぁ、フィクションなんて喜劇も悲劇もそんなもんなんだけどさ。この辺の距離感って、難しいよね。いくつか関連するページを読んだけど、キリがないのでここには載せない。

ロケ地。関東近郊が多かったようだ。棋神戦の舞台となった古いお屋敷が気になったのだが、どうやら群馬県は前橋市の「臨江閣」というお屋敷らしい。重要文化財だが、明治期に群馬県の迎賓館として建造された近代和建築ということらしい。室内が部分的に映されただけだったが、きれいだったね。

音楽。前半の清田と浅川の奨励会時代はほとんど BGM らしい音楽は流れないのだけれど、後半のいわば本題に入ってからはちょっとずつ音楽の効果が強くなっていった感じがした。こだわりを感じたね。

いろいろと感じるところもないではないが、前向きな清田の姿勢というのは、好きだった対象と正面切って向き合うことを諦めざるを得なくても、そこに関わっていくにはいくつもの道があるということを示してくれたというのはあったかもしらん。