赤の他人に救われるということは、人生で数えるほどしかないのではないか。「社会はすべての人で成り立っている」とかいう話ではなくてもっと直接的な事例の話としたい。
具体的な例をあげれば「電車のホームで落ちたところを助けられた」とか、あるいは抽象的な例としては「あの人の作品に感銘を受けて人生が一変した」などをイメージする。
なんなら「道端ですれ違いざまに落としたハンカチを拾ってもらった」などもカテゴライズされうるが、落とし物を拾ってくれた相手の顔を覚えていられるのも何時までだろうか。
Last modified: 2019-12-24