《ファントムスレッド》(Phantom Thread、2017)の感想を残しておく。当時、映画館で本作の予告をボーッと見ていたときはドキュメント映画なのかなと勘違いしていたが、全然そんなことはなかった。主演のダニエル・デイ=ルイスの演技の賜物か、撮影の技術か、編集の妙か、私がアホすぎるだけか、どれだったのだろう。

第2次世界大戦後のイギリスが舞台で美術はもちろん、音楽、画面は時代設定に沿った古さを醸している。クラシック調の音楽が多い作品だが、担当は Radiohead のジョニー・グリーンウッドだそう。彼はバンド活動を始める以前に、幼少時はクラシック音楽の素養を養っていたそうな。ついでに《ノルウェイの森》(2010)の音楽も担当していたらしいということを知ったので、ビックリした。

いくつかの食事のシーン

食事のシーンは何度か描かれるが、いずれもエキサイティングで、そのことを中心に記す。登場人物らの不和と融和がすべて食卓で表現されているといっても過言ではないのが本作だ。

冒頭。冷めきった食事シーン。まだ作品の成り行きが分からない状態で見せられる。女性が男性に対していろいろと愛想を振りまくが、男性はまったく意に介していない。この女性はすぐに舞台から退場することとなる。この男性こそ主人公のレイノルズである。

ヒロイン、アルマがレイノルズに食事を振る舞おうとするシーンがある。冒頭に引き続き、レイノルズは楽しい食事など望んでおらず、果てはケンカになる。正面から向き合いたいアルマは正しいのだが、レイノルズが極度の変人であるということをまだ理解していない。

決意したアルマは、レイノルズにある仕掛けを施す。もちろん食卓でのことだ。変人に対応するには狂人になるしかない。このあたりで、人物のイメージの様相も変動しはじめる。アルマは魔女だった、そうなると決意した。男を射止めるためだったら、後悔しない。その甲斐あって、レイノルズは陥落する。しかし、所詮は魔女の魔法に魅せられているだけで、その関係は非常に不安定なのであった。

2人は入籍後、新年の休暇を山奥のリゾート地で過ごす。どうしてこういう状況を作ったのか、寒々としたテラスで食事をするするシーンがあるが、アルマの食事のマナーは成っていない。美しくないものは、どう取り繕っても美しくない。晩餐でも、ゲームの席でも、アルマの立ち振る舞いは端的に言って粗野で野蛮。そのことにあらためて気がついたレイノルズ、目が覚めかける。

ここからアルマは再度、魔法を使う。結末として、レイノルズは完璧に墜ちる。私として徐々に破局、つまりレイノルズの目覚めを期待していたので、この展開にビビり、非常に悲しかった。だが、アルマの魔法の調理が非常に魅力的に記憶に残っているのも事実で、おぼろげ乍らも覚えている、ラストの調理シーンから食卓でのやり取りまでが、いまだに笑える。どうして君は手玉に取られてしまうんだ、レイノルズ! なぜなら魔法が掛けられているからだよ。

エンディング、アルマが主人公レイノルズの顔、頭をやさしくひざ上で支えているカット、これにはヨハネとサロメを彷彿とさせられたが、今思うとピエタでもあったのかもしれない。いや、2人が幸せならそれでいいのだが、個人的には、レイノルズのファッションデザイナーとしての天才性はアルマとの関係を深めていくにしたがって欠けていったのではないかと思われ、そのあたりの感触は人に依るのかもしれぬが、歯がゆい。

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