リバイバル上映を鑑賞する機会は過去に数度はあった気がするが、記憶も定かではないし、この規模でのリバイバルに遭遇するのは初めてではないかな。ということで、《天使のたまご》を観てきました。

明確に「面白くない」という感想も多いので、どういうことかなと訝しがっていると、オチとしてはアート系に類されても文句は言えない作品だったというか、もともとOVAのパッケージということらしいので、まぁふつうの作品と思って臨むと面食らうかというくらいの感想である。作品は面白かった。

旧約聖書、というか、主にノアの箱舟がモチーフになっており、要するにキリスト教っぽい要素が散りばめられているが、そこから解釈遊びをしてもあんまり面白くはなさそう。詳しい解説はいろいろとあるだろうけれど、それらを読み漁ってもなという感じもある。

ざっくりとではあるが、閉鎖された空間(現実の地球もそのように解釈できるけど)で、延々と繰り返される卵の発見と破壊、何がいつ、どうやって、誰によって得られるのかもわからんみたいな状況なんだろうな、くらいの理解とした。

が、これだけで終わっても面白くないので、上記のことでもう少しだけ遊んでみるか。Wikipediaの解説にある以下のふたつの要素と作中で起きたことをベースにする。

  • ノアの方舟が陸地を見つけられなかったもう1つの世界
  • 機械仕掛けの太陽

地球と思しき母体に海があり、舟がある。で、陸地はない。そして冒頭、少年が何かしらのエリアで何かをした結果(とする)、機械仕掛けの太陽が昇ってきた。これは作品のクライマックスから紐解けば、要するに少年が卵をぶっ壊したんだろう。このエリアでだ。

このとき、彼が卵を壊したエリアは作中の少女のいる舟上でのことなのかというと、おそらくノーだ。単純に、作中の街なかと冒頭のエリアは世界観が違うだろうというのが最初の理由となる。つまり、舟は2つ以上あるし、太陽に据えられた像の数からしたら無数にあるとしても不思議はない(これが2つ目の理由と言える)。

で、なんらかの手段で少年は舟から舟を移動できる、と考えるのが自然だろうし、ではそれはどういう存在かというと、鳥に他ならないと思われる。で、人間のような鳥と言えば天使である。ただし、もしかしたら少年は魚かもしれない。が、まぁ、この遊びの都合上、天使であろうと予測させてもらうことにする。

この世界では陸地が無くても舟のなかで文明は進んだわけで、それぞれの舟が同じ世界にあるのか、あるいはパラレルワールド的なそれなのかはしらないが、どこかの時代になんかしら天使を生じさせたケースがあったんだろう。少女のもとにあった卵がなにかしらの残滓なのかはしらぬが、少なくとも天使のいた時代があったんだろうことも示唆される。

で、少女も少年も幾ら生きているのか不明というので、ぶっちゃけ少女も天使なのだろう。一般的に卵は勝手に孵るハズだが、如何せん天使もその卵も人工的な存在だろうから、孵し方も自然的ではない、かもしれない。少女は抱えるだけだし、少年は割るだけだ。どちらも間違いかもしれないし、どちらも正解かもしれない。

ただし、舟を渡れるのは(少なくとも登場人物では)少年だけなので、自覚があるのか無自覚かにせよ、彼は舟を見つけて渡っては卵を探し、それを割ることで何かを探している。いや、天使なんだろうけど。

探している天使を問えば、少年や少女には為せないことを成す天使だろうし、それが何かといえば、当初の話を直截につなげるのなら「陸の発見」を叶える天使だろう。結果論的ではあるけれど、舟で文明を築いても結局それらは、ほぼ滅びた。しかし、なんか天使がなんとかできる可能性がある。

可能性(卵)はまだあるので、それを叶えるためにサブ天使(言い方が正しいとは思わないが)が仕事をしている。そこは良かれ悪しかれである。

という感じで、ツッコミならいくらでも入るだろうけど、私は納得した。なんで少女が最後にあんな感じになって太陽に組み込まれるのかみたいなのは、もうそこはイマジネーション&ややこしい裏設定ってことで済ませたい。

しかし、監督としては「たまごの中に何が入っているのか」が楽しむポイントらしく、そこを考えるか。

タイトルを見ても、今回の読み解きでも、たまごには「天使」が入っていることは確認できる。ほんならやっぱり「天使とは何か」と問いを続けるのが真っ当だろう。で、まぁ、先ほどの繰り返しに近いが、舟も疑似太陽も不要にする存在が求められている。

そろそろ物語を離れてもいい気もしてきたが、たまごには何も入っていなかったのか、入っていたのかだけ考えると、入っていたと考えないと面白くないんだけど、少なくともエンディングでは現状に大きな変化はなさそう。ほんなら意味がなかったのかとなるが、意味があったと考える方が楽しい。

そういう愉しみのための苦しみが入っていたんじゃないでしょうか。突如のメタオチ。

メタ作品的な個人的な体験についてもメモしておくと、小説としては山尾悠子のそれが似たようなイメージを連想させられるかなとはなった。また、『BLAME!』なんかは上の読み筋に影響があるし、逆説的に言えば、『BLAME!』がおおからず影響下にあるのかもしれない。

また、少し話を拡げると、80~90年代の日本は「天使」ってモチーフ好きすぎじゃない? 私の思い込みに過ぎなければそれで構わないが、アニメやマンガ界隈で天使のモチーフって、それこそ21世紀以降はそんなに流行っていないのでは? という気もする。

そういえば、アニメーション作品だと『千年女王』(1982、映画版)が連想された。『天使のたまご』が1985年の作品らしいので、時代的には此方の作品が先行している。アニメ制作の人事や体制、それらの関係については詳しくないが、どうにも近いものを感じる。アテのない反復性のような部分での類似というか。気になっているので確認したいが、『千年女王』の媒体を持っていないので、手短な手段がない。

最後、音楽について触れたい。メインテーマから何から何までよい。

現代音楽作曲家、菅野由弘氏の仕事ということで、名前も存じ上げなかったがWikipediaの一覧を眺めるだけでも仕事の量&バリエーションがエグい。クラシックから日本の伝統音楽、ヒーリングミュージックや環境音楽、そして劇伴など、多彩なキャリアだ。

この方の楽曲を深掘りしてみたいのだが、そう簡単でもなさそうで、これは課題だな。

最後に読み直して思ったが、少女の寝床の舟も舟を渡っていたのかもな。そう考えたほうが自然かもね。楽しいね。

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