2022年末に《サイレント・ナイト/SILENT NIGHT》を観た。テキトーに内容も調べずにチケットを取った作品で、なんとなくホラーっぽいのかなと思っていたが、そんなこともなくて戸惑った。

あらすじ

人類の終末の最期の日をどう過ごすか?

それがちょうどクリスマスにあたるので、分け隔ての無いメンバーを集めてパーティーをやって解散するよ、というノリで取り繕われていたが、当然、そんなスッキリした状態で話が進むはずもない。

製作はそれなりに小規模と思われ、基本的には B 級枠の扱いでよかろうが、詳しくはわからない。《ジョジョ・ラビット》の主演子役だったローマン・グリフィン・デイビスが、本作でも名演していた。

また、作中の双子の弟役は実際に彼の弟達だとかで、何とも言い難いトリビアではある。ほかの俳優陣も有名どころがいるらしいが、あまり興味はない。

本作、ローマンの演じる主人公:アート少年の葛藤こそが醍醐味といってもいいくらいで、繰り返すが、作品自体がおもしろいかというと難しい。

どちらかというと社会派作品で、エンターテインメントととしては中途半端を感じつつも、提示されたリアルな社会にある現下の苦味からは逃げられない。藤子・F・不二雄の短編『大予言』のような状況が再現されている。

大人たちはまぁどうでもいいが、子供たちの未来がないのである。

人類は余計な苦しみを避けるために、一部のシェルターへ避難できる人たちを除いて政府(?)から安楽死の薬剤を配布されている。死の嵐が到達する前に服用せよ、という話だ。『箱舟はいっぱい』も連想させられる。

しかし、アート少年は、死の嵐が世界を苦しめることも、人間が汚した地球が人間の生存に適さない状況になりつつあることも受け入れつつ、安楽死を選ぶことが正解かは疑問でしかないという。

何もかもが大人の都合、現状の社会を成してきた人間たちのエゴで物事は進んでおり、そんな大人は「子供のための未来はもうそこには無い」「一緒に逝こう」と言う。こんなの子供からしたら耐えられるワケがないし、そんな大人たちの言明を信頼する理由がない。

街場の気候変動対策

ちょっとリアルな社会と自分の経験の話をする。1990年代は、藤子・F・不二雄もいくつかの作品に取り上げたように、地球温暖化(現行では気候変動)が大きなトピックとしてあったし、それについて悩み、考えさせられることが多かった。

2000年代くらいになると議論は進むが、一方で懐疑論なども登場するわけで、個人的にはパーソナルな人間に可能な対策はかなり限定的であり、同時に懐疑論派寄りの意見に傾いていった。自暴自棄気味の面もあった。

しかして、2010年代くらいから現在に至るまで、やはり人類社会の影響の大きさ如何にかかわらず気候変動は確実に起きており、直近では特に、二酸化炭素に次いで、畜産物からの排出物、メタンガスが問題であるというトピックが取り上げられやすい。

これも程度のほどは判じづらいが、繰り返すように、間違いなく起きている気候変動に対し、取れるだけでも何かしら対処が必要というわけだ。

自分は、世の中は、人類社会は、なにかしら具体的なアクションを打てているのか? 大規模な施策と方針決定は、それぞれの代表者集団に任せるったって、最終的な行動は個人に委ねられる段階がどこかであるわけで……。

映画から話が逸れた。

アートの葛藤は、彼なりの思考と決断に辿り着く。しかし、無知で臆病な大人たちにパターナリスティックに否定される。後味が悪い。彼らは、それを愛というが、その愛をもっと事前に、ちゃんと発揮しておけというサジェスチョンがある。愛の射程というのは、どこまで伸びるのかね。

クライマックス、予期されたオチに至るには、クリスマスであること、アートを抱く母とその構図などから、考察ポイントというか、結末へのヒントなどがそれなりに用意されており、そのへんは鑑賞者へのサービスが、一応はあった。

というわけで、特段おもしろいとは言えないが、2022年の末に、個人的に課題として突き付けられた問題作ではあった。

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