東京国立近代美術館で開催されている《コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ》を見てきた。冒頭の開催趣旨には以下のようにある。

「昭和100年」、「戦後80年」という節目の年となる今年、美術を手がかりとして、1930年代から1970年代の時代と文化を振り返る展覧会を開催します。絵画や写真や映画といった視覚的な表現が果たした「記録」という役割と、それらを事後に振り返りながら再構成されていく「記憶」の働きに注目しながら、過去を現在と未来につなげていく継承の方法を、美術館という記憶装置において考察するものです。

本展覧会は、結論としては「戦後80年」に重きがある。とはいえ、メインビジュアルが松本竣介《並木道》(1943)となっているように、戦争をだけ扱ったわけではないということは言いうるのではないか。国立の美術館がどういう理論構成で日本の戦争翼賛的なメディア、芸術を展示するのかは問題足り得るんだろうけど、うーん、まぁ、いい絵はいいし、なんともな。

どんくらいひっそりやるつもりだったかしらんけど、さすがにアートや人文界隈ではメディアを通して徐々に話題になっていたものの、会期終了まで絶妙なタイミングだし、台風模様で荒天だし、そろそろ空いてるかなと思ったら、石破さんの見解の効果かしらんけど割と人がいた。外国人の鑑賞者も割と熱心そうに回っている人が多く、まぁたしかに、東京に来て見る意味のある展示ではある。そう考えると、むしろインバウンド展示なのかもしれない。

いつものように、セクション別の感想を残しておく。

あとやっぱり、この美術館の展示は常設までみないと完結しないことがあらためて感じさせられる構成となっており、ぶっちゃけ疲れすぎる。贅沢な話ではあるんだけど。

1章 絵画は何を伝えたか            

北川民治《ランチェロの唄》(1938)、収蔵品だし見たことある気がするが、本作は戦争に進む日本を暗に批判していたのではという解説があった。その程はしらないが、作者の視点からみたメキシコの人間観みたいなのが滲むのがよい。

展示されているポスターをデザインした中山文孝という人物、知らなかったが明治生まれでデザインの先駆者という記事は目にした(下記リンク参照)。「日本万博博覧会」ポスターは圧倒的で、「紀元二千六百年」という見出しはそれとしても、そのデザイン性はちょっとレベルが高すぎる。

先の《並木道》と靉光《自画像》(1944)は、戦争とは近づかなかった芸術家たちの立ち位置として展示されていたものと受け取っている。この作品の2年後、靉光は大陸に出兵し、上海に赤痢で亡くなっているとのことだ。残念ですね。

また、ラジオ放送についての言及・史料があった。今回、全体でNHK提供の映像が2点あったが、ラジオ音声はなかったね。ラジオ、写真の普及がやばくて絵画が追いやられていくんだよねみたいな説明もあり、本展覧会では傍流的な存在だが、気の抜けない存在であることは言うまでもない。

国の発行していた『写真週報』の資料も序盤は多く、戦意高揚や勇ましさ、勢いのもった事実らしい情景をそのまま映すには写真のほうがよいというわけだろう。要するにプロパガンダ誌なのだが、全体主義って怖いねぇ。ここに、朝日や毎日、講談社なんかの同類の資料などもあった。

2章 アジアへの/からのまなざし

陽気な絵も多い。リウ・ロンフォン(劉栄楓)《満州の収穫》(1930)や梅原龍三郎《北京秋天》(1942)などの朗らかさ、そこには夢があったことを否定できる人は少ないだろう。現地で無理やり接収した開拓地に多くの日本人が向かったのは知っていたが、ポスターや冊子、パンフレットなどの資料を眼前にすると、面食らうというか、もはや現代と大して変わらない様相だ。むしろ絵画が浮いているとすら言えるだろう。

福沢一郎《牛》(1936)は秀逸だなと思ったが、このあとにもう1点、そして常設にも2点の展示があった。そうやって福沢一郎を通して当時の雰囲気に立体感が出てくる、気がする。

猪熊弦一郎《長江埠の子供達》(1941)も凄くて、自らの異物性を子供の目を通して描いている。子供たちの雰囲気こそ恐ろしげにも見えるが、子供なりの可愛さも同時に有しているようで、ユニークだ。とかいいつつ、やはり視点は侵略する側の其れであることも確かなのだった。

藤田嗣治がね、もともとあんまり好きじゃないんだけど、大きな絵をみると圧倒的な画力に平伏すしかないんだけど、不勉強ながらこんなに積極的(?)に戦争画にコミットしているとは知らなかった。もちろん、当時の奥まったことはわからないが、展示されていた資料の彼の文句、めっちゃノリノリなんですよね。これは、なんか、ちょっと、あれですね。

しかし、別の方の軍艦の絵画なども含めて、生頼範義を連想してしまった。彼を含めた、いわゆる戦記モノのイラストレーションなどは完全にこのへんの戦争絵画の影響、文脈に繋がっているのかなと素人は想像するが、このへんの研究みたいなのはあるんだろうかね。一応、展示の最後の方で70年代くらいは少年誌で戦争がポジティブにフィクション化されていったみたいな情報はあった。

3章 戦場のスペクタクル

劇的な戦闘シーンを描く。要するに写真じゃリアルすぎて困るんで、イマジネーションを働かせてカッコいい前線を演出してくれよということだ。上の文章で書いたことと同じく、この辺の絵画は単純にかっこよさげに映る。いうなれば、宮崎駿なんかも影響を受けているんだろう。

鶴田吾郎《神兵パレンバンに降下す》(1942)は、あんまりアートなんで笑っちゃった。解説によると「異時同図法」ということらしいが、複数パラシュートの降下、着陸、戦闘の様子が1枚の画面に同時に描かれている。

青々とした空、マルグリットみたいなシュールさ。

4章 神話の生成

1942〜1945年くらいの作品や資料で、要するにもう戦局はジリ貧だろうので何かと明る気な話題やら、やっぱりテンションアップな題材というか、そういう劇的な作品づくりが行われるわけで、ここでも藤田嗣治のご活躍が存分に味わえます。

伊原宇三郎《特攻隊内地基地を進発す(一)》(1944)は、NHKの映像資料付きで「特攻」なんだけど、まだ少なくとも彼ら周辺は表面上は朗らかであるように見える。

伊原宇三郎は1930年代から軍属の美術家となっていたようだが(Wikipedia調べ)、中心にいた分だけ、この頃には現下の状況を把握していただろうし、どういう心境だったんだろうね。てか、戦争の関係のない作品、めっちゃ好みかも。

5章 日常生活の中の戦争

女流美術家奉公隊《大東亜戦皇国婦女皆働之図》という大きな絵が2点、文字通りだが、後衛(銃後)で働いている女性たちを描いた女性作家たちによる大きな作品だ。経緯はよくわからないが、「春夏」のほうは額縁に「銃後における女性の活躍」という札がついており、なんじゃこれと思ったら、福岡の筥崎宮は所蔵品らしい。なんでなんやろ。

一方の「秋冬」は、なんでだっけか説明はあったが、(おそらく筥崎宮から)靖国神社に譲られたそうで今は遊就館にあるらしい。普段から見られるのかは知らない。それはそれとして、これらがGHQに接収されなかったのは銃後の作品だからなのか、別の理由があるのか、知りたいですね。

そのほか、全体主義的なプロパガンダのポスターが多数あったが、秀逸なデザインも多く、苦笑いが止まらない。《空襲!備えよ防毒面》(東京・藤倉工業株式会社ポスター)は面白すぎて欲しくなったよね。笑い事ではないのだが。

6章 身体の記憶

戦後ですね。展示の繋ぎとしてはどうしようもないだろうが、要するに明確な区切りはあるとはいえ、それは意識しづらく、ヘタをするとそのまま被害者心理に傾倒していきそうだ。

国家もメディアも国民を戦争に向けて煽ったが、国民もそれに乗っていた面は十分すぎるくらいにあり(そもそも国家もメディアも国民の部分だ)、それを忘れがちだからアホな議論が罷り通る。どうするか。どうしようね。

福沢一郎《敗戦群像》(1948)が先ずあり、さきに展示されていた《牛》から12年後の作品であるが《牛》で鈍く描かれていた虚無感がようやく人間に戻ってきたなというか。肉塊のある舞台は日本の風景には思えず、それがまた皮肉というか、悲惨かという気分になり、気持ちよくはないが、戦争のパブリックな気持ち悪さを個人的な体験としてこのように描き出してみせるのは、相当に苦しいように思うが、どうなのだろうか。

全和凰(チョン・ファファン)《ある日の夢(銃殺)》(1950)も穏やかでなかったね。解説も忘れた。北朝鮮生まれで日本を中心に活動されていたらしいが、パッと情報が手に入らなくってよくわからなかった。時代は朝鮮戦争だが、その要因のひとつに日本があることには変わりない。

7章 よみがえる過去との対話

高度経済成長とベトナム戦争によって過去を相対化したとはいうが、展示はほとんどが広島原爆被害を被害者たちが捉えた作品で、NHKの特集(だっけ?)に触発された小林岩吉氏の図を端緒にして現地のひとたちが残した作品が2,000を超えてあるらしい。なんとなればアウトサイダー・アートというか、そういう取り組みともいえそうだけど、インパクトは強い。

山下菊二《聖車》(1971)は解説を見てもピンとこなかったが、戦後に昭和天皇が訪欧した際に、特にオランダでは戦争責任を問う市民の勢いがすごかったらしく、それを戯画化した作品であるらしい。要するに本展で天皇の問題を扱った唯一の作品と言ってもいいくらいで(見逃しがなければ)、数メートル先にお掘りがある立地上の緊張感を伴って、居心地が悪い絵画だな。

山下菊二の作品は常設にもあり、《鮭と梟》が《犠牲者》に並んでいた。皮相的である。

8章 記録をひらく

向井潤吉《マユ山壁を衝く》(1944)が圧倒的だった。が、なぜこのセクションに展示されていたのかはよくわからない。解説も忘れた。同《飛騨立秋》(1962)が展示されており、戦後は彼は日本の風景と民家をテーマとしていったらしい。戦争から日常への回帰ということかね。どちらも近代美術館の所蔵品なので、まぁそういうことか。

真喜志勉の無題の作品が2つあった。1045年生まれ、2015年まで存命していた沖縄の方らしく、この2点も近代美術館の所蔵品である。要するに沖縄がかかわる本展での情報はこれくらいなのであった。史料として占領下の沖縄を取材した雑誌などは展示されていたかな。他に、沖縄を扱った作品を所蔵していれば展示されていただろうが、そうではないということなんだろう。なんとも言えない。

その他のことなど

  • 「紀元二千六百年奉祝美術展」や同時期の展覧会に出展された絵画が常設にいくつかあった。戦争とは別に純粋でピュアで無垢で無辜なアートシーンがあったというような話なのか、それはそれだったという話なのか(後者であろう)。
  • 福沢一郎、重要人物なんだろうけど、今回ようやく覚えた気がする。常設にある《人》(1936)は《牛》とほぼ同じことを人間でやっており、狙いはよくわからんが、これはこれでよい。《二重像》(1937)もよかったが、これはテーマというか手法が違う気がする。
  • 李禹煥はあいかわらずいいなぁ。90歳くらいになろうに、まだ元気に創作されてるんでしょ? 知らんけど。図抜けてんなぁ。
  • 《新収蔵&特別公開|コレクションにみる日韓》の曹良奎《密閉せる倉庫》(1957)は、非常に素晴らしい示唆的な作品に思うのだが、作者はいつだったか北朝鮮に渡って以降は存命が不明らしい。悲しいね。
  • 同展、シンプルな作品が多いけれど、どれも素敵である。同じような作風の日本の作家の作品も並んでいた。

今年は何故か、日本の近代史について考える機会が多く、たとえば、若林正丈『台湾の歴史』(講談社学術文庫、2023)、江口圭一『十五年戦争小史』 (ちくま学芸文庫、2020)、『満州移民: 飯田下伊那からのメッセ-ジ』(2007)などを読む機会があった。よりミクロあるいはマクロな戦争、日本の侵略の図式というのは、やはり絵画で目にするよりもよっぽど過酷な情報が多い。

本展は、絵画やポスターメディアの影響力や限界、あるいは個人で抵抗したアーティストなどの存在、従軍なりしたけれどそのなかで表現を模索した画家などもいたということは示していたように思う。あるいはその能力を戦意高揚、プロパガンダ、好戦姿勢に発揮した人物もいたのだろう。さまざまだ。が、それはそれとして、この記事の冒頭で引用した趣旨のような「写真」(はまだしも)や「映画」の影響力というのは、この展覧会で得られる結果としては相対的に過小評価されそうに感じる。実際のところ、自分もわからない。

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