なんとなく面白そうだったので『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』(2025)を観てきた。2月のことだ。なんとなく面白かったなぁ、程度の感想となっている。映画そのものの感想というよりも、ホラーってこういうもんなんだなという感想としたい。

めっちゃネタバレっぽい内容に言及します。

舞台は「架空の長野」だそうで、ある山で子供の頃に弟を失った青年とその同居人(恋人?)が主人公となる。あと、地元紙かなんかの新聞記者がちょっと活躍する。

オチとしては、旧来よりその山は、要らなくなった神聖(とされた)なモノを遺棄する場所だったとのことで、その怨念かしらんが、溜まり溜まった負のエネルギーが人を引き寄せるシステムを構築させたようだ(もちろん、真相めいた部分は不明)。

この手のホラー、コミックだと生産され続けていることは個人的にも確認しているし、おそらく小説も映画も似たようなもんなんだろうけど、それぞれに難しさがあるなぁと実感する。ゲームであれば昨今のホラータイトルはインディ作品が増え、なんか面白い試みも多いようで、今作も時間が経ってから振り返ってみると、ゲーム的なイメージは強い。

本作でよくわからないままだったのは(ホラーとしてという意味ではなく)、そもそも山のなかにそんな施設が有りようがないという前提が、鑑賞者に伝えられていることだ。そこ明らかにしなくてよかったんじゃないのか? 怖くなくなるというか、正しく意味がわからない。雑に、そのかつては神聖だったモノがいたとして、そいつがおよそ現代に至っては獲物(?)を確保するために、施設を生み出したんか? そういう風に見える(感じる)ようなそれを? その必要ある?

それだったら、まだ現代において神聖とされていそうなものをモチーフにして、あるいは山の外まで撒き散らしてくれてもよかった気がする。結局、ビデオテープという道具だって、最後の方の演出だってそういうことになっているっぽいので、尚更そう感じてしまったね。

いや、現代において神聖とされているものは、子供、なのかもしらん。

なるほど、そう考えればなにか味わいが増すかもしれない。婆ちゃんが生理を捨てたように、意図せずしてとはいえ弟を捨てた兄がいる。すると、たしかに兄の抱いていた感覚、発言などの筋は通っていて、家族の一部を捨てた男がいるとき、同時に夫婦は2人の子供を同時に失ったに近しく、それは自ずと家族の崩壊を意味する。いかにも当然ではあるが、筋は通る。現代的ですらある(かもしれない)。

一方で、モノは兄をも引き付けようとしている。なぜなのか。ひとつ、現場(建物)から生還したと思われる唯一の人間が彼だからだ。彼を餌にすることであらたなターゲットが増やせるのかもしれない。それはエンディングで示唆されていた。ただやはり、山がなんでそんなものを欲しがるのかはわからん。忘れ去られないためだろうか。うーん。

あるいは、これは真に脚本のミスなんだろうなぁとは疑ったのは、冒頭で母親からの段ボールが届いているとき、同居人は「いいよなぁ、俺の親なんて送ってきてもくれない」みたいなことを愚痴たシーンがあった。すぐにわかるが、異様な段ボールは過去にも送られてきており、それは押し入れに積まれている。

そして、のちに同居人がこの事実を新聞記者に伝えるシーンがある。このとき、作中の時間経過の中で同居人がその事実を知ったとは思えず、つまりは冒頭の台詞が矛盾することになる、あるいはよくわからない嫌味としての表現としてしか機能しなくなる。

もしくは、強引に解釈すれば、山に纏わるものに対する記憶というのは、非常に操作されやすくなっており、それは彼やパートナーがその支配下にあるとか。塚本さんなども、そう言えるのかもしれない。情報をシェアしてくるタイミングがおかしいんだよな、塚本さんは。

ホラーをホラーたらしめる要素って何なんでしょうね。

今作、ジャンプスケアな演出もほとんどなかった。母親まわりでひとつふたつ、新聞記者まわりでひとつくらいだったかな。

ところで、鑑賞をはじめてすぐに連想されたのだが、『悪は存在しない』というよくわからない映画が昨年上映されていた。あの映画も子供が山中でいなくなるわけだが、クライマックスで愉快なジャンプスケア(ではないだろうけど、飛びかかってはいた)が披露されている。

今作はそういうんじゃない作品なんだろうけど(ジャンプスケアメインで驚かす目的は無かろうという意味でも、『悪は存在しない』のようなよくわかんない枠を狙っているわけではなかろうという意味でも)、であれば、あらためて何が怖かったんだろうか?

そういえば、民宿の彼の特殊なイントネーションは、長野の地方ではよくあるのだろうか。あまりイメージが湧かない。今作、2022年には、より短いバージョンのいわば出展用のフィルムがあるらしく、そっちのがシンプルで怖いという感想は見かけた。そちらには、民宿の彼は出てくるのだろうか? てか、民宿の彼は誰の子供やねんな。

あるいは、警察署で刑事が「大したことのない山」ということを言っていた。これもあの山に対する認識を意識的にか、無意識的にか操作する言葉だったのかもしれない。とはいえである、テープの音声が真だとして、登山口から1時間ほど歩いて、そこでようやく山頂まで3.5kmという看板が出てくる山が大したことないということはなかろう。立派なトレッキングだよ、それ。

もう作品の術中なのかもしれない。

あるハズのない山について、こんなに執着してどうするのか。

そういえば、ある鑑賞者の情報によると、作品作中の年代は2015年らしい(私はこの情報を見逃していたので確かなことは言いづらい)。であれば、まだ平成だ。

で、このとき、兄の子供の頃の撮影媒体はビデオテープ(DVDやらHDD搭載の前ということ)だろいうという点で意見は一致する。そうではあるのだが、作中に登場した画面に映し出す媒体としてのビデオテープはVHSであることは確かで、すると兄の持っていた家庭用ビデオカメラの記憶媒体はおそらく 8 mmビデオテープなのだろうから、これをVHSとするには 8 mmからの変換作業が必要になるだろう(詳しくないけど。

このワンクッションの操作が生じることを考えると、微妙なリアリティの齟齬が生じるというか、狂った母は兄(息子)に嫌がらせするために、せっせとダビングに勤しんだのだろうか? ちょっと面白い。もうよくわかんねぇよ…。いや、いわば擬古的なホラーとしてのサブジャンルではあるんだろうから、そこは考えすぎてもしゃあないんだろうけど、ほんならいったい、何が怖かったんだっけ。

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