《サブスタンス》を観てきた。グロテスクな表現が愉快だという噂を聞いていたので、興味本位で行ってきました。うーん、なるほど。

なんとなく《TITANE/チタン》あるいは《RAW〜少女のめざめ〜》と似てるなと眺めていたのだが、本作の監督:コラリー・ファルジャ、挙げた2作の監督:ジュリア・デュクルノーはどちらもフランス人ですね。製作国もメインは、どちらもフランスみたいね、舞台はアメリカだけんども。

観てるあいだは楽しかったけど、振り返ると「ふーむ、ややこしいな?」という感想が浮かんじゃうかな。まずは、その話をしていきたい。

本作、いろんな映画作品のオマージュが散りばめられているっぽく、すべてに気づいたとは到底言えないけれど、そうすることでテーマへの(本来的には無意味と思われる)批判を躱そうとしたのか、あるいは、どちらかというと監督の趣味によってそうしたのか、それがわからないのが不満のひとつではある。

クライマックスではゴア表現とも言えるレベルで画面が真っ赤になる。自分がパッと浮かんだのは、ルカ・グァダニーノの《サスペリア》(2018)だけど(他にも幾らでもあるだろう)、あちらは言うてホラーの格式を保っていたけど、本作はどちらかというとB級ホラー味が強まる。そりゃもちろん、作品全体がホラーテイストではないからだ。

私はいわゆる「ジャンル映画」の定義もよくわからないし、逆に(矛盾的であることは承知しているが)ジャンル不明な感じの作品が大好きだが、そこのところを考えると、本作は只のごった煮に思えてしまう。それが次の不満、というか疑問点に繋がるのだが、何がテーマなのか曖昧さを感じるからだ。

あるいはフェミニズムとみなされる作風の難しさかなぁ。

フェミニズムをいったん除ける話をします

まずわかりやすいところでは、アメリカのローカル放送のトレンドも知らないけれど、未だにああいうエアロビクス番組が流行ってるの? という疑問がひとつある。これについては調べもしないけど、とにかくそういう(誰かにしら)魅力的な世界があるという前提が立つ。

で、エリザベスは自身の若い頃にその栄華にどっぷりと浸かっていたわけで、本作のギミックによってそれを繰り返そうというワケだ。安直な(と私が思う)感想として「このような世界に繰り返し栄光を求めようとする彼女もまた被害者」みたいな旨のコメントも見たけど、こういうのは全然わからん。ごめんなさい。

あるいは、老いというテーマについては男女共通だろうし、監督はこれ(老い)は女性だけの問題じゃないとして見てほしいだろうな、と考えながら観ていたのだが、とはいえ、たしかに、若い彼女の魅力はどちらかというと男性に向けられているだろうから、その視点(フェミニズムでいいですか?)に立てば、フェミニズム的な映画になる、のかもしれない。

だが、もしそうなのだとしたら、舞台やキャラクターの設定立てがやや重複する作品として、こちらもあんまり好みではないけど、《バービー》(2023)のほうがよっぽど上手いことやってるよね、ともなった。

ま、では、とりあえず、フェミニズム的な視点をいったん除外して監督のやりたかったことを考えると、前半のSF的なギミックを用いた交代芸なのか、後半以降のスプラッター映画なのか、みたいな二分になるのかなとはなってくるんだけど、別に考えてもしょうがないよな。

どっちでもいい。

美しさとは、いまの自分らしさである

監督のやりたかったのはここだろうと私は思う。

本作において、鏡の前で彼女が身繕いをするシーンが大きくは2つあるけれど、その対比といったら極上だったよね。

まずはひとつめ、自分の現状の美しさを受け入れられない、あるいは化粧なりで再現できない彼女の醜さが光る。自分の半身の暴走を止めるべく、いまの自分を肯定するためのささやかな希望に取りすがろうとする彼女は、やはり愚かにも若々しさを取り繕ってやっていこうとする。如何にも似合わない赤いドレスである。

紅を何度も入れ替えては、チークも塗り重ね、直しを繰り返して、緩んだ胸元をスカーフでフォローしようとすれば、髪のボリューム感を何度となくいじろうとする。玄関のドアノブに手をかける度に理想の自分とのギャップがオーバーラップし、無茶な気飾りの滑稽さが強く、滲んでくる。そして破綻する。

なんと哀れな。

一方、である。異形となった彼女はその人生のピークを迎えんとするために鏡の前に立つ。あんなに美しいシーンがありますか? 老いも若さも、男も女も超越した美がそこにあったろうよ。

もうなんかよくわからん手で、もう耳だかなんだかわからんところにイヤリングを装着する仕草、いや要らんやろというレベルの髪に、たどたどしくもヘアアイロンをあてる動作、そこにはなんの迷いもない。

言葉にできないね。美しい。

この対比があるからこそ、前半の彼女の空しささえ、物語としては輝く。

その他のことなど

こんな部屋は実在しないんだろうけど、部屋の間取りがよかった。

メインルーム脇のちょっとした事務スペースからは左に屋外、右にポートフォリオが映りこむ。あるタイミングで、ポートフォリオは消え、屋外には巨大な看板が立つ。単純だけど、それだけわかりやすい。リビングからバスルームへ繋がる弧状のコリドーも小気味いい。まっすぐな廊下よりも画面映えしますね。

そうしたなか、どう考えてもバスルームが本作の起点となるんだけど、この無駄な広さが高級住宅らしさはもちろん、おバカなSFギミックを成立させるためにも十分だし、ほぼ真っ白なその空間は意味をできるだけ排除しており、これもまたよい。DIY で秘密の小部屋を作るのもなんのそのだ。

ごくパーソナルなレベルでの彼女自身の対比は、真上からのシャワーシーンで繰り返されていたが、やはり印象的なのは、吸いつくされた彼女が横たわったシーンで、ありえないほどに天井がズームアウトしていくところだろう。物語は終焉に近づいていく。

ファストフードの象徴たるハンバーガーの汚らしいケチャップと、最期まで夢に追いすがった彼女の結末が、あまりにも陳腐に重なっていくけれど、それもまた一興といったところなんでしょう。

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