なんか映画を観るかということで『シンシン/SING SING』のチケットを取った。中国のパンダの映画かと思ったら、そんなことはなく(奇しくも同時期にパンダの映画がやっている)、ニューヨーク州にある刑務所の名称であった。Wikipedia に拠ると、もともとはネイティブアメリカンの呼び名で Sinksink という音の土地だとかであったらしい。
ここは先進的なニューヨーク州であるので、Rehabilitation Through the Arts :芸術を通した更生ということだろうが、そういったプログラムが組まれており、収監されたひとびとが舞台をやる。そういう事実があり、それに基づいた作品ということで、主要登場人物らの幾人かはベースとなったプログラムの参加者(元収監者)ということだ。これは事前情報として得てしまった。
作中、主人公が「半年もこんなことを」というようなことを述べるシーンがあるが、であれば、季節は春から夏だろうか。時折映されるハドソン川、鉄道(メトロノース鉄道のハドソン線らしい)、刑務所、有刺鉄線、金網つきのガラス、ハドソン川、有刺鉄線、鉄道、どれもが美しい。コダック 16 mm フィルムでの撮影が、映像の親近感というか、地続きの世界での出来事という感触を強める。そこは刑務所のなかである。
で、物語の構成上、どうしても「更生」というテーマが付きまとうし、当然それは其れなんだけど、主人公のディヴァイン・Gについては、これは冤罪なんだよね。Grok3の情報を正しいものとして記述を続けるけれど、これは公に事実として認定されているようだ。また、劇団員のひとりだった JJ という人物、これも冤罪らしい(映画公式サイトに依る)。雑にまとめると、「更生」が物語の半分であるとすれば、「冤罪」も物語の半分であると考えることも、そこまで不自然ではなかろう。
クライマックスでは多少老けたメイクになっていたGだが、さて、彼が何年間収監されていたかというと2021年までの23年間だそうだ。大変なことではありませんか。作中で YouTube が挙げられるシーンがあったので、少なくとも劇中は2000年代くらいなのかなとは判じていたが、まさかここまで長いとはね。
で、一方のアイ(クラレンス・マクリン)は、これは17年くらい収監されていたらしい。こちらはご本人の罪であるところらしいので、まさしく更生にあたる期間だろう。
要するに、テーマ的には2人には直接的な接点はない。なんで冤罪で逮捕された男が、えらい犯罪をした男の仮釈放の手伝いなんてするのか、お人よしやなというくらいであるように思える。そもそもお前さん、脚本なんか書いてるし、本の出版もしてたんだ? インテリ側じゃないのという感じだ。
しかして、2人の接点は、ありがちではあるが、アフリカン・アメリカンに対するレッテルといったところに落ち着く。そこまでクローズアップされないとはいえである。作中で描かれた演技の練習、あるいはセラピーの一種で過去の自分を演者らに想起させるシーンがあるが、このシーンなどをフックにして、Gもアイもちょっとずつ現状や過去を開陳していく。その過程でハッキリしてくる。
まー、ひとつだけ文句を言うと、Gの冤罪疑惑についてはおそらく刑務所内でも有名だったのだろう。アイも既知の事実として双方に会話を進めるシーンがあるが、鑑賞者にはわかりづらいこと、この上なかった。
Gはもともと舞台芸能、ダンス(正統的なやつ)が好きだったらしいが、これも大柄な黒人男性ということで夢を諦めるようなこととなったという。アイについては小さい頃からやはり美的なセンスの萌芽があったらしいが、これも環境によって退けられたと嘆いている。これらの真実味まで気にしたら仕方ないが、殊レッテルという問題については、まさにこのことが問題であるとされる(とはいえアイの独房にあったネコ科の動物のスケッチには強い意図を感じた)。
映画に話を戻すが、つまるところ舞台に携わって演者になることによって、素の自分を超えたところの自分が生じるんだというような話になる。外(ふつう)の世界で良かれ悪しかれ(彼らの場合は後者の方が大きいわけだが)纏ってきたレッテルあるいは鎧を剥がすところから始まる。そのためには、その鎧をまずは相対化せねばならない。アイが演技を深めていく2つのシーンではそれが明瞭に描かれていて、よかったですね。
マイク・マイクに寄せて
Gの最大の理解者として存在したマイク・マイクは、スペインの島嶼部は出身だそうだ。どこだよ。
彼は創作的なキャラクターのようだが、もちろんいくつかのモデルはいるのだろう。彼は刑務所内の生活が最良だという。自分の場所はここにあるという。劇中、アイも似たようなことを言って、仮出所への努力を拒もうとしていたが、要するに同じことだ。更生、シャバの社会に戻るときに向けて、怒りやレッテルにまみれた自分に区切りをつけるためのRTAプログラムではあるが、それで満足だという心持ちもあるかもしれない。まっとうな成功体験のなかにいたい、ごく自然の発想だ。
エンディングにて「シンシン刑務所から出た者、まだ居る者たちに向けて」というような旨のひと言があった。
まぁ、そうなんだけど、そうじゃない人間もいるわけだ。
人生はあっけない。そこは、塀のなかも外も関係ない。
どちらかというと、私にとっては、そういう映画であった。
Last modified: 2025-04-24