気分を落ち着かせたくて『時々、私は考える』を観てきた。心は平静を取り戻すどころか、よくわからん領域に足を延ばしたが、まぁいいか。サービスデーだったこともあるだろうが、席がほぼ埋まっているし、男女比も半々くらいだったのではないかな。主演の女性、エマ・ストーンに似てるなと思って眺めてたけど、ディズニーのスター・ウォーズで若き女性ジェダイを演じた方らしい。

フォースとともにあれよ。

原題は、《Sometimes I Think About Dying》だそうで、これはちょっと邦題どうなんだと考えたい。たしかにあらすじを確認すると、主人公には希死念慮が云々というのは見えるので、大抵の鑑賞者はそれを前提にするのかもしれないが、作中の端々でとつに表現されるさまざまなアレ、前提にしてないと本作の第一印象はサイコホラーみたいな感触になりかねないのでは。

こういう画面の質感の映画も見慣れてきたなというか、きれいなんですよね、単純に。オレゴン州の田舎の港町らしいんですが、鹿? も街中に出現するみたいなので、実質日野市みたいなもんか? というのは冗談だけど、古き良き(と言ってもそこまで古くはない)アメリカの風景みたいな感じがある。ちなみに、ヒロインのフランは更に田舎の地域から出てきたらしい。

彼女はExcel操作、スプレッドシートがもっとも得意だと言い、だから今の仕事が好きなんだという。それ以外は特にない。趣味もない、人間関係もない。このような生活をしている人間が其処に、世界にどれくらいいるかは知らないが、根本のところで似たような傾向を持つ人間は多かろう。私も例外ではない。

職場でもプライベートでも表層的(と思われるような)人間関係に馴染めない、そういうタイプの人間は別に珍しくもないだろうが、田舎なぶんだけ同じような境遇や、それを打開してくれそうな人間関係に遭遇する機会は減るんだろう。別に、田舎を悪く言うつもりはないが。

しかし、ロバートの欠点は作中では明かされないものの、彼女のロバートへの距離の詰め方自体は、やはり人間との距離感を得意としない人間に特有のギアとブレーキの激しいアクション、リアクションばかりであって、それはクライマックスまでほとんど変わらない。それを許容しようとしてしまうのが、良くも悪くもロバートなのかもしれないが。

そう考えると、「ロバートはいままでも似たようなのと付き合ってきたんじゃないの」という見かけたコメントの意図もわかる。でなければ、そうそうに近づかないもんな。

孤独(を自覚する)な人間にありがちだが、フランはアルコールを嗜む。帰宅後にグラスのワインをよく飲んでいるシーンには、へぇとなったが、映画後の飲食店でアイリッシュコーヒーを頼んだ時点で、ややっ!? となった。そして究極は、誘われたパーティーにマルベックを持っていったことだ。

オレゴンのワインは全然知らないが、近年はマルベックを単一でボトルにするらしい。へぇー。勉強になりますね。これ、絶対に脚本レベルでこだわってるやろな。

もうあんまり言いたいこともないんだけど、一応希死念慮的な話に触れておくと、なんか綺麗すぎるんだよね。別にグロイ映像とか具体的なそれが見たいというわけではないが、所詮は想像に過ぎないというか、そのへんで彼女の孤独を戯画化しちゃってる面はあったんじゃないかなとは感じた。

それが狙い通りなら否定するものでもないが、雰囲気がいい、なんとなくいい話なのは、わかったけど、どれくらいありふれた話にしたかったのか、フランの特別な時期を物語にしたかったのかがよくわかんない、とは言っておきたい。

ジャンル的にはロマンティック・ラブコメディに分類されるらしい本作、たしかに笑ってる人も多かったが、クライマックスの彼女の告白のシーンで笑ってる人はほとんどおらず……。どういうことだってばよ、あそこがメッチャおもしろかったやん……。

海が満ちるとか、少し寒そうだけど、ふかふかの絨毯でブランケットもかけずに1日寝転がれるくらいには穏やかな気候(の季節)で、朝には近所のハーバーのお店で甘いドーナツが食べられる。最高だね。

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