KindleのKADOKAWAフェアで、鈴木光司『リング』からはじまるシリーズ4作の合本版がセールされていたので購入して読んだ。続編が2作あるらしいが、今回はとりあえずこれらは放っておく。映画『リング』の生み出す恐怖は、私の中で強烈に残っていて、原作からはいろいろと相違があることは知っていたので気になっていた。暑い夏にと思い、なんとなく手が伸びたのだった。

『リング』

映画もそもそも、あまり覚えていないが、なるほど細部の変更は大胆かつ巧妙なんだろう。貞子が襲ってくる描写なんかは映像作品なりの工夫があって、それが貢献した部分は大きすぎるほどだろう。また、キャラクターの人間関係がシンプルになっている。これも映像作品ならではの工夫だろう。小説も登場人物は決して多いとは言えないが、そのまま映像にするには諸々の描写が尺に合わないだろうし、立てつけも悪くなるだろう。

1991年の作品ということで、携帯電話もろくに普及していない。登場人物の足取りや描写が少しだけ時代の差を感じさせ、なんとなく懐かしさすらある。問題のロッジも、映像作品だと山中のウッドハウス的なロッジだったように記憶しているが、原作ではもう少しリゾート感があるようだ。

映像作品で、大島に赴くプロットがあったかなかったか定かではないのだが(無かったと思って書いている)、残り時間の少ない中、台風だかに足止めされて焦る浅川の描写は良かった。

貞子が井戸に落とされた原因だが、映像作品だと危険すぎる人物だから、という感じだったんだっけ? 原作はもう少しグロテスクで、それだけ悲劇的でもあるが、やはりその分、ややこしさを感じなくはない。より精確には、不可解な謎が多く残る感じ強い。それは続編で解消される部分もあるのだが、当初からの構想はなかったらしい。

『らせん』

タイトルを「スパイラル」にしなかったのが、素晴らしいのではないでしょうか。

「らせん」のほうがコワいもんな。そういう意味では下手に漢字にしなかったのもいい。「螺旋」、中二病っっぽいもんな。リングの呪いが人を死に至らしめたのが実体を持ったウイルスだったという驚愕の事実。おもしろいが8割、どうすんのこれが2割といった感触が正直なところではある。

浅川が不幸な結末を迎えたのは残念だったが、今回の主人公である安藤も悪くないとは思う。次第に探偵役が宮下になっていくのも御愛嬌ですかね。どっちも同じくらい賢い、半ばバディというのは、あんまり例が無さそうで新鮮でもあった。

明かされたヤマムラサダコの目的、行く末らしきものを見るには瀬名秀明『パラサイト・イヴ』を連想せざるを得なかったが、どちらも1995年の作品ということなので、ざっくり想像するには、似たようなネタの用意がそれぞれの作家のなかにあったのかなと、結論づけたい。

安藤になにか得体の知れないものが触れたのではないか、という高野のアパートの一室での描写は、映像作品からの逆流のような印象はあった。幽霊でもない実体の乳児大サイズのヤマムラサダコが、狭いアパートの部屋で大の大人を翻弄しているというのは、映像だと滑稽になりそうだけどね。

しかして、最終的に明らかになってくるところのヤマムラサダコの目的がよくわからないのだが、前作の高山がこう関わってくるとは意外というか、割と感動した。まぁ、よくわからないんだけど。

『ループ』

あぁ、これが噂の…。ほとんどSF小説ですね、これは。

ゲーム的な世界をなにかしらギミックとして扱うSFって、おそらく古くからあるのだけど、全球まるっきりの「機械的」な仮想空間をこういう風に描いて利用する作品って、いつから、どれくらいあったんだろうか。これが1998年の作品というのは、結構、先進的だったのでは、という気すらする。詳しい人、教えて。

ここまで通して振り返って、少なからず感じるのは、ホラーやSFの体裁をとりつつ、家族と血の因果が重低音として響いているんだよな。だからこそ、シリーズとして描くことができているわけで、おそらくそれは今後の『エス』『タイド』もそうなのだろうけれど。

単純には、「ヤマムラサダコが何だったのか」は、完全に投げ捨てられているように思える。作中の偉そうな人物がそう言っているし、パッと読んだだけではわからん。とはいえ、本作の問題が「がん化」であることも含めると、「リング」の物語とはあんまり共振しそうにないが、それ自体が彼女ってことでケリがつくんだろうな。かわいそうな、ヤマムラサダコだよ。

亮次という人物の扱いがあまりにあっけなくて、切ない。

インディオのエピソード(伝説)と、地下世界の施設が、取ってつけたような感じもしたが、前者は正しく取ってつけた設定だったと明かされており、肩透かし感は否めないが、まぁいいか。馨が体験したインディオの過酷な運命は、あれはループ世界での出来事のようで、相互の世界は影響しあっているという偉そうな人の断定も、なるほどなぁという説得力は、個人的にはギリギリあったと思う。

前作での関連でいうと、山村貞子が高山を復活させた理由が分からない。安藤を懐柔した時点で十分だったと思うんだけど、これは続編を描くにあたってオミットされた伏線だったのかしら。別に、彼女の今後の計画に高山が必要だという説明はあったっけか? 結局、それも偽りだったわけだし。

『バースデイ』

山村貞子を供養するための作品に思える。再誕のエピソード「空に浮かぶ棺」と、この人物の青春時代を描いたような「レモンハート」、ループ作品における現実世界のクライマックス「ハッピー・バースデイ」からなっている。

空に浮かぶ棺

重箱の隅をつつくが、復活後の彼女が「高野舞は抜け殻のようになったろう」みたいなことを言っており、その処分のために「空に浮かぶ棺」を作ったような経緯だった思うが、最期の灯火か知らんけど、貞子再誕後も高野舞は意識があるっぽいんだよな。単純に、邪魔だったんだろうね。

あとまぁ、高野の意思か、彼女の意思かしらないけど、ビデオがきっちり上書きされてたのは何故なんだぜ。そのへん、描写あったかな。

レモンハート

ちょっと流し読みみたいなレベルの感じになっちゃったんだけど、「レモンハート」ってなんだったんですかね。作中で超常の力が働くとき、柑橘系の香りがしたというのは一貫していた気がするが、それなのだろうか。結局、呪いか否かにかかわらず、山村貞子の超常の力、それも彼女の強い感情を帯びているのを浴びると、ジワジワと死ぬっぽいね、人間は。

『リング』から登場の吉野君、実は彼こそが、メインキャストである山村貞子、高山竜司を除いて全作での登場じゃないのか。バイプレイヤーというやつだ。えらい。

ハッピー・バースデイ

『ループ』の礼子の物語である。先ほど、シリーズの底には血があるといったが、それがポジティブに描かれていることはほとんどなく、『リング』の浅川家は、主人公に乳児と妻がいたがそこは中心的にいは描かれず、馨の家族こそが作中の描写では唯一まともな平和な家族ではあった。だからこそというか、本作の終わり方は、それだけ際立って明かるようには思う。もうシリーズとしては、ドロドロだけど。

ただまぁ、上述のらせんからループへの謎というか、病院で高山と山村がすれ違ったような描写があるのだが、この滑稽さはなんなんだろう。手塚治虫の作品の、たまに現れる身も蓋もないオチを読んでいるときのような、気分のギャップがある。作者としても、ガン細胞をのさばらせたままにはしたくなかったか。

『リング』の続編がメタ作品めいていくことは知っていたので、『リング』を読んでいる最中に、登場人物の台詞がややメタ調になるところは気にしていた。とはいっても、作者は当初はこのような着地点は予期していなかったとしているようなので、どちらかというと、作者の存在が見え隠れしていたという感じなのかなとは思う。あるいは神か。

本作、宗教的な色彩はもちろん、ほとんど神についても触れないよね。いいと思う。

そういえば、最初の作品でビデオを見た4人がいたずらで上書きしたという台詞、何と言っていたんだろう。で、あの婆さんは誰なんだろう。わたし、気になりました。

おもしろかったです。

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