3月、池大雅(いけのたいが)の展覧会に行ってきた。

出光美術館に出掛けるのは相当に久しぶりだし、以前に何を見に来たのかすら覚えていない。今回の池大雅、不勉強ながら知らない人だったが、文人画、そこから北画、南画の違いなど、なるほど、ということで、学びがあった。

父を早くに亡くしたらしい池大雅は、母と京都中を転々としながら、旅行なんかもそれなりに多く、結婚もして、いろんな作品を残していくわけだが、つまるところ若い頃からパトロンがいたんかね。そういう情報はほぼなかったが、そうなんだろう。

セクション別の感想を残していたので、公開しておく。

第1章 光との戯れ ─色と墨の競演

ようわからないが、ジャンル化しづらい作品、代表作などが並ぶのかな。琳派のスタンスを真似て描かれた絵が最大級の展示となっていた。これはセクションに限らず、展覧会全体でだ。

池大雅像

こじんまりしたオジサンで、あんまりカッコよくないなという印象。すると、Wikipedia には「義母の徳山百合(池玉瀾の母)の発言として「大石良雄は短足の醜男で皮膚病があり、人々から指をさして笑われていた」と語っている。」とある。

なるほど、じゃあいい絵だ。義母に(限らず)容姿の悪口は言われたくないけどね。

山邨千馬図

喜んで見ているひとがたくさんいた。馬が画面狭しと、描かれている。酒の席での半ば冗談を端緒にして描かれた作品らしい。逆に、画家の実力が顕れている作品とは言えそう。細部までグダグダにならず、ユーモアに溢れた雰囲気がある。

皆が喜ぶのもわかる。ポストカードなんかも人気そうだ。

漁楽図

重文だったんだね。収蔵は京都国立博物館だそうで。点描的に描かれた絵なんだけど、テクニカルである。この点描的な描画方法、たくさんの作品があれど、あんまり使ってないような気もするけど、そこはそういうことでもないんだろうな。

いや、ほんと、すごい技術だ。これはほんとにすごかった。

騰雲飛濤図

どこかの豪農の長男が生まれたことを記念して発注され、描かれたとか。「龍を題材に」との依頼だったらしい。が、その姿は明確には描かれてはいない、ということだと思う。成長を願っての“可能性”なんだろうね、おそらく。

このセクションでは、特に好きだった。

第2章 大雅のユートピア ─憧れの中国へ

いろいろと面白い作品が多かったが、六景なる技法(中国画における遠近法だそうで)と、瀟湘八景として題材される「瀟湘夜雨」「平沙落雁」「烟寺晩鐘」「山市晴嵐」「江天暮雪」「漁村夕照」「洞庭秋月」「遠浦雲帆」が面白かった。

餘杭幽勝図屏風

90年ぶりに一般公開されたらしく、そこにビビる。リストにも収蔵元は明らかではないが、個人蔵なんですかね。90年ぶりって言ったら要するに、おそらくは1930年代に何かの縁で公開されたを最後に、戦中・戦後を経てようやくってことでしょう。

第3章 行道千里 ─日本の風光に学ぶ

山登りも好きだったらしい作家の作品、主に日本の実際の風景を対象にしている。こういう作品は否が応でも好い。なんなら、もっともよい。

浅間山真景図

スケッチがベース、というかほぼスケッチと思うので、展覧会中でもっとも写実的な絵と言って間違いないと思うが、これがまた妙に魅力的で、こういう画をもっと見たかったな、ってね。

箕山瀑布図

展示中ではおそらく、もっとも若い頃の作品らしい。気合十分という感じだし、描きこみの多さが若描きというか、素人目にもわかるほどだが、こういうのもよかった。

日本十二景図

同時に来訪している鑑賞者からは、流し見されがちな印象であったが、12点の日本の風景画だ。これも好きだ。作品に地点は明記されていないらしく、後年の推定らしい地名が付されている。括弧つきになっていた地名は、推定も自信なさげってコトなのかしらね。

たとえば、松島は括弧されていなかったが、しかし、これは直接は見てないか、あるいは描写としてはオーバーという感じもある。それくらいの気の持ちよう、枠組みで描かれてると理解していいのかな。そう思うと、何故あえて日本の風景を? という理由を考える必要も生じ、なかなか不思議だ。

第4章 四季と八景の庭園 ─大雅芸術の頂点

後年の大作とかが多いのかな。与謝蕪村との共作、色々な関係がようわからんので、どれだけ偉大なのかもようわからんが、とにかくすごいいということは納得はした。

十便十宜図

与謝蕪村との共作ということで、国宝だが、川端康成の財団が所有してるらしい。へぇー。ぶっちゃけ、解説をみてもどのへんが貴重なのかよくわからん。

寿老四季山水図

本展で一番好き、まである。

5帖でひと作品ということで、四季に対応した軸の中心に、小童と鶴を従えた老人がにこやかに立っている。いい。いいとしか言いようがない。

十二ヵ月離合山水図屏風

「離合図」と呼ばれるスタイルが一種の文人画、ひいては池大雅の到達点であるらしいが、1年は12カ月、月ごとの山の風景が描かれる。1月、2月なんかは野に近いほうだろうが、段々と険しくなっていく景色が、どういう意図に基づくかは全然わからん。よくわからんが、なんかメッセージ性は感じる。言語化しづらい。

1月にあたる作品は右端から配置され、左端で12月に至るが、(おそらく)館内ルートの都合上、鑑賞者は逆らうように、左(12月)から眺めていくことになる。どうなんだろうね。上述の「日本十二景図」は右から眺められる状態だったと記憶しており、なんなら逆にあったら、印象はどう変わったかなと思ったりもした。

結論:図録を買うとよい

展示品の入れ替え(屏風だとか頁だとか)が多いので、4回通えるひとでないと、すべての展示品に出逢えまい。それはまぁ、しょうがない。で、もっとも合理的と思われる方法は図録を買うに尽きる。昨今の印刷技術ってのは凄い。頁を捲りやすい紙質と製本で、目の前で目にする作品よりも印刷物のほうが、よっぽど精巧に見えるし、観察しやすいというに尽きる。

特に「寿老四季山水図」の「秋」だが、解説には小さく人影があると説明されていたものの、言われないとなかなか気づけない。だが、図録で眺めれば、おそらく誰でも初見で気づけるレベルでハッキリわかる。これは縮尺による恩恵と思うが、そういうメリットもある。

美術鑑賞用のルーペを持ってるひと、結構いたけど、うーんだよな。購入を検討したことはあるけど、流石に利用するに至ってはいない。

下記のリンクは 2018 年の京都国立博物館での展覧会のようだけど、さすがに点数は今回よりも充実してそう。

また次、どこかで見る機会はあるやないや。

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