なんとなく近場の映画館に『悪は存在しない』がかかっていたので、観てきた。

なんでか、前回はシネコンで大々的に上映されていた監督の作品が今回は小さめのシアターでしかかからないのか、よくわからないが、何かしら理由はあるんだろう(資本が入ってないってことなんですかね)。結果、映画好きしか観にいっていない印象があるが、これもよくわからない。

暑い日に疲れていったなか、館内の冷房はガンガンと効いており、作品世界の寒々とした感じが伝わってきてよかった、ということもないのだが、とにかく外界とは遮断された社会がそこにはあった。寒くて、ご迷惑をお掛けしました。

私は、『寝ても覚めても』ではじめて見て、『偶然と想像』は見ていないんだけど、『ドライブ・マイ・カー』は鑑賞した程度の人間であって、Wikipedia の記載がやたらと充実しているだけかもしれないけど、概ね鑑賞しやすい作品はここに挙げたくらいでしょうか。『ハッピーアワー』は数年前、どこかでやってたのは知ってる。

移動するクルマとそのなかでの人間模様というか、あの空間が好きなのだろうという印象ばかりが強まる。そういうシチュエーションを映画というハコに嵌めようとしている節すらある。流れていく景色なんてのは、映像的ではあるし。

あるいは今回の作品の雰囲気について言えば、なんなら車中というのは、家族間であっても気まずい瞬間がある。不全な状態なら、なおさらであろう。仕事仲間についても、言わずもがな。

『ドライブ・マイ・カー』では車中は、ある種の安らぎの空間であった、概ね。

舞台は諏訪のほうらしく、なにやら是枝監督の『怪物』も似たようなロケーションの座組で撮られたらしく、そういう組合みたいなのがあるらしい。長野の映画と言えば私に印象的だったのは、『光復』だっけかな。アレもヘンな映画だった。

Wikipedia を読むと、作中で懸案の開発計画にもサンプルとなった事例はあるらしいが、これがどれだけリアリティのある話なのかはよくわからない。まぁ、それを主題とした社会派映画というわけではないので、どうでもいいのだけど、どこで撮影されたかがハッキリしてるほど、その辺のリアリティも気になるってもんだ。

話をクルマに戻すと、今作では中央自動車道がフィーチャーされたということで、いいのかな。いっそのこと濱口監督の作品に登場した高速道路をマッピングしていったら面白いんじゃないのかね。この方、もしかして全高速道路を網羅しようという野望を抱いてはいまいか。

車中のやり取りといえば、黛ゆう子さんが作中ではもっともまともな立場というか、人物像だったと思われる。交渉力もありそうだし、頭がいい。高橋啓介は擦り切れているし、ほかは言わずもがなというか、そこまで重要な役割が与えられていたとは言えないだろう。というか、考えてみると、本作の登場人物というのは、居たようでいて居なかったようなもんな気もする。

そういえば、コンサルタントのお兄さんも車中から会議に参加していた。あれ、どういうポーズなんですかね。いや、彼はフリーランスのコンサルタントなのかもしれないが、なるほど車中というのは会議室にもなりうる。現代社会において、購入・維持する経済的理由と合理性さえあれば、もっともプライベートな空間にすらなりうる。それがクルマなんや。

そういった、言わば文明的な空間移動装置で、東京と諏訪を、あるいは山中を移動することの意味とは……。本文では、これはこれ以上は踏み込みませんけど。

話のリアリティといえば、あのうどん屋もどれだけ信憑性があるのか私にはよくわからない。あれは、摂水許可とか、水質調査とか、その方法とか、金銭的な問題とか(彼らの私有地でもないもんな?)、すべて手続きを経たうえでやってるってことでいいんですかね? 田舎住まいの方なら簡単に正否がわかるんでしょうか。どうなんでしょう。

個人でやるなら見逃される範囲ではあるんだろうけど。思い返してみると、2023年は石川県で、流しそうめんのお店で大きな食中毒事件があったけれど、あれも湧き水を使っていたと記憶している。

って、ちょっと漁って見たら、上記のインタビューに、湧水を使ったパン屋は実在するらしく、そこからインスピレーションを得たらしい。同じような手段で、水を摂取してるかどうかまではわからないけど…。

いやー、まぁうどんは、いいか。見逃す。

クライマックスの感触について。

ヨルゴス・ランティモスの『ロブスター』とか思い出しましたね。いきなり、不条理に傾いていく感じがね。『寝ても覚めても』もあんまり覚えてないけど、まぁ、妙なビックリポイントはありましたよね。こういうトリック(と言うと失礼か?)を効果的に使おうって監督なんでしょうか。ドライブのやつは、そんなに飛び道具とは思わなかったけど。どうなんでしょうね。

あんまり偉そうな感想は書けないのだけど、構造上というか、高橋が可哀想やんとなりませんか?

可哀想なひとは、作中にたくさんおるだろうけど、やっぱり1番かわいそうなのは高橋なのでは? 夢も破れた、仕事もズレてきた、家族を作ったことがない(作りたい)、別の光が見えた気がした…。そんな彼にあんな結末なんて、あんまりじゃないの。

本作で「欲しいものがある」かつ「守るべきものがない(と表明されている)」、そんな大人(登場人物)は彼だけなんですよ。こんな悲しいことがありますか。それが周囲のよくわからない事情や思惑に踊らされて(踊ったキミが悪いという批判はありそう)、あんなことになってしまった。

かわいそうに…。彼を笑える人間だけが、本作に石を投げてください。そんな人でなしが、果たしているでしょうか?

子にあたる、あるいは、そのような銃は、悪なのでは?? 

もしくはそれを見逃す大人は。

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