ジョン・フォードの『静かなる男』を観る。

アメリカに移民した家族、その息子だけがアイルランドに帰ってくる。1952年の作品で、カラー作品だ。ヒッチコックの『ハリーの災難』が1955年なので、3年間でカラー技術も結構変わるんだなという印象も生じた。現代で配信するにあたって、用いられた補正技術の差もありそうだ。

アイルランドというと『イニシェリン島の精霊』なんかでもそうだが、バーにビールか蒸留酒、石の壁、現地の特有の十字架なんかがちょいちょい使われており、ははぁ、アイルランドであることだなとなる。いや、すでに説明されている状況ではあるけれど。

ショーン・ソーントンは、帰郷して早々に羊の群れと戯れている赤毛の美人、気性難な女:メアリー・ケイト・ダナハーに惚れる。忙しい展開だ。トントンと実家を買い戻し、婚約を申し出、彼を嫌うダナハー兄に断られ、という展開を踏む。展開のぶつ切り感は否めない。

ダナハーの気性の荒さが目立って、本作は喜劇とわかるが、なんとなくタレるというか、よくわからない間延び感がある。それこそ喜劇の難しさかもしれない。劇中でしばし謳われる歌も陽気だし、自然は綺麗だし、馬はよく走る。アイルランドでも、ジョン・フォードの撮る中遠景は、やはり美しい。

メアリーのこだわり、持参金や家具類への執着がおよそショーンには理解しがたく、なんかしらんけど離縁するところまで話が進む。洋の東西を問わず、旧弊の感覚とヤンキーの感覚があわないという、マジメではあるけれどギャグ的な展開が、やはり突飛には見える。

だが、これらが極まってからのラスト20分くらいの展開は流石におもしろい。

まず、メアリーをショーンが 8km 引きずって歩いて帰るのがよい。これは、これ以前のシーンで馬車から置いていかれたショーンの意趣返しでもあるんだろう。メアリーが文字通りギャグのように草原を引きずられていく。まぁ、ギャグなんですけどね。たくさんの野次馬が2人を追いかける。そうはならんやろ。

本作、メアリー役のモーリン・オハラは、たいてい厳しい顔つきで演じているが、このあたりからはずっと面白い。ってか、普通に美しいねんな。引きずられながら靴を履くな。笑。

ショーンとダナハー兄のいざこざの解決策(決闘)もやたらと楽しい。町を巻き込んでの大騒動で、もうリアリティも何もない。これがコメディってもんだ。兄は不意打ちでしかショーンにダメージを与えられない。これも笑える。

しかしアレですね、ジョン・フォードの画面をみてると、ウォルトディズニーの作品とか、手塚治虫、藤子の漫画の構図なんかを連想することが多い。それだけ影響があったということか。

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