ジョン・フォードは『怒りの葡萄』を観る。スタインベックの小説をジョン・フォードが監督した作品となる。1939年の小説を、翌年に映画にするというのだからスピード感がある。主役のヘンリー・フォンが、トム・ジョード役を熱望したらしい。長期契約を結んだと Wikipediaにあったが、速攻で済んでよかったね。

まず、『揺れる大地』っぽいなというのがあった。こちらは、1948年なので、後発だが、社会派というか、いわゆるリアルな問題を扱った作品ということで。第2次世界大戦を挟んでいるし、影響関係などはわからんが、まぁ意識はさせれる。

1929年の大恐慌、30年代の天候不順、農作物不作から移住を強いられた小作農業者たちがカルフォルニアに渡った。大家族は、着の身着のまま最低限の荷物を携えていく。現地では受け入れられないか、不当に安く扱われる。

冒頭、カッとなった事件から刑務所に入っていたトム・ジョードは実家に帰ってきた。だが、誰もいない。土地を追い出されるらしい。元説教師のケーシーを仲間にして、家族と合流する。彼らもすぐに土地を離れなければならない。

荒涼とした土地、暗闇、砂埃、タル・ベーラ『ニーチェの馬』を思い出した。あきらかに本作からインスピレーションを得てるんじゃないの、という直感はある。どうなんでそうね。本作、ところどころで影が象徴的に使われているが、出立を嫌がる祖父を眺める3つの陰(だったかな)が、印象的だった。

さて、出立してすぐ、祖父が死ぬ。それはね、そうだよ。鎮静剤ってたって嫌がるひとに無理やり飲ませるもんじゃないよ。道中に埋めていく。ケーシーのメッセージがまたよい。祖母は泣いていた。

祖父と祖母は、父方の家族だろうけど、もう全体的に女の方が強いというか、生き方の覚悟が決まっていると色々とわかる。祖母もアリゾナあたりで力尽きるが、彼女が重病ということで検閲を抜けたのであって実は、あの時点では亡くなっていたんだろう。やはり強かだ。

ケーシーが絡む騒動で、トムは再び家族から離れようとするが、ママから止められる。一家はもうお前が居ないと駄目だと。パパももう流されて生きているだけだというような風に言う。戦術の通り、それはそのように見える演出になっている。これは原作からこのようであるらしいが、映画では端々でそう感じさせるものの、このやりとりでハッキリした。

映画は、やはり最後にトムが逮捕されそうという時点に至り、家族を離れて終わる。そのタイミングでも、やはりママは気づくのである。で、まぁここがヘンリー・フォンダの演じたかったところなのだろうが、虐げられようが、俺たちは、どこにでもいるアメリカ人であって、この旅でさまざまな目に遭ったが、決してそれを見逃すようなことはしない、したくないと熱弁する。

全体的にほぼノンストップで楽しく観れた作品であったが、こうなってくると本作は、なんだろうか。女大黒柱とその息子の物語なのではという気もしてきた。

最初は無愛想に対応していた女給さんが、去り際には子供らに優しく振舞うシーンがよい。トラックのドライバーらの粋のいいお会計も、よかった。

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