『窓ぎわのトットちゃん』を観た。

作品の発表から上映まで話題沸騰という感じだった、少なくとも私の周辺では。原作はもともと有名ではあったろうし、黒柳徹子とその両親を含む家族の歴史は、戦争を挟んだ現代日本のなにかしら理想的なケースが辿った命運みたいなのを持ち合わせているってことなんですかね。

舞台となるトモエ学園は、もともと自由ヶ丘学園という名称で成立し、高校部門は同名で現在も残っているようだが、主要登場人物でもあった小林先生が小学校、幼稚園部門を引き継いだのが、トモエ学園として成立したとのことだ。小林先生はもともと、成蹊小学校なんかの教師だったらしい。

作中にもチラリと登場するが、リトミック教育ってのは、ざっくり音楽情操教育みたいなイメージで、おそらくはフランス語だろうと思うが Wikipedia を読むとスイス人の音楽家が提唱した教育手法だそうで、ドイツなんかで広まったらしい。Wikipediaの記載にある限りではあるが。

で、小林先生も日本におけるその先駆らしいが、群馬県出身で東京音楽学校(現東京藝大)を出ているとのこと。なるほど、トットちゃんは、両親といい、校長といい、少なくとも作中の期間は音楽家に囲まれて成長していったということか。

栗柳徹子のプロフィールと作品を見比べていると、人間関係などは整理はされているようで、たとえば疎開の直前に弟が生まれているようだが、彼が幼少の頃に敗血症で亡くなった長男であるのか、それとも次男であるのかハッキリわからない。というか、おそらく大きく年代と家族構成がずらされている。

いずれにせよだ、小児麻痺から亡くなってしまった友人、ひよこ、おそらくシェパードもそうだが、作中だけでも死に囲まれた雰囲気が控えめにされてはいるが、それでも伝わってくる。当時の命との距離感が。戦中の日本を舞台にした作品はいくつもあるだろうが、極めて明るくギリギリまで陽気で健気な幼子の視点を通した作品はどれくらいあるかね。わからない。

作中では何度かファンタジックな演出に入るシーンがあり、最初の登校時、プール、夕暮れ雨の商店街などが該当する。よい映像だったが、ここに特に思うことはあまりない。プールにおける演出は、子供らが天使のように舞っていた。彼がクリスチャンであったらしいことと関係はありそうだが、どうだろうね。

彼とトットちゃんが父の練習を観にいったシーンもよかった。演者がみんな汗だくで、シャツの脇や背中に染みている。あんまり目にしない演出というか、ありゃなんだろうね、彼らの熱心さが伝わってくるが、それが一体なんだというのか。好きだけど、思い返すとよくわからんこだわりではある。

お母さんが終始色っぽい。これも気になった。包容力とか、当時にしてハイカラで現代的だったとか、そういう表現なんだろうか。そんな彼女が、疎開の直前になり赤子を生んだ直後はやや窶れているではないか。トットちゃんが少し成長したのとは正反対かのように。まぁ、食糧難で産後なんだから仕方ない。

トットちゃんがママのほつれた髪を直すとき、お母さまの顔がクローズアップされるのだが、窶れた輪郭が浮き彫りになって人間味を増し、あるいはそれは黒柳家の輪郭であるようにも思え、何とも言えない美しさを感じた。

チンドン屋の演出は、単純に怖いな。なんだあれ。

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