《パリ13区》を観た。モノクロで気取った映画なのかなという勝手なイメージを抱いていたが、まぁなんというか……。英題は “Paris, 13th District” だそうで、原題は “Les Olympiades” だそうだ。
原題についてだが、てっきり現地での地区名だと思ったが、13 区の地区名は “Les Gobelins ” (レ・ゴブラン)だそうで、そんなら「オリンピアード」とやらは何ねと思ったら、13 区南部の高層住宅団地を指すらしい。その中心商業地区は中華街だそうです。Wikipedia ありがとう。
フォローの人たちが幾人か見ていたので次第に興味が出たというワケで鑑賞した。ほかに目ぼしい作品も無いし。結果としては、そこまで気取っちゃいなかったが、ただただ人間の苦しさがあった。この作品にポジティブさは、どれくらいあったかなぁ。自信がない。
ところで、本作がモノクロだったのは単純に、肌が頻繁に露出されるからだろう。そのまんま、つまりフルカラーだと、おそらくかなり、どぎつい。ほんのワンシーンだけでも、それが示されていた。
さて、監督:ジャック・オーディアールの作品も初見だが、(嘘です、《ゴールデン・リバー/The Sisters Brothers》を見てた)、本作は原作がクレジットされており、エイドリアン・トミネという米国人のコミックスだという。彼のことも知らなかったが、日系 4 世の作家だそうで彼の 3 作品がベースになっているとのことだ。
その原作の舞台がパリかはわからないが-というか、そうではない気がするけど、どうなんだろう。そのへんの感覚は普遍的なんだろうか。そのへんの感覚ってのは、本作で描かれるような一般的な若者(いうてアラサー)の性的接触にまつわる感覚の話だ。
ということで、最中のシーンはやたらと多いが、そこまでエロティックでもなければ、ドロドロもしていない。生活の一部という感じがするのは、そういう前提であり、演出でありなんだろうけど、悪くなかった。こういうカジュアルさは自分にとってはそこまで身近ではないので、新鮮と言えばそうだね……。
さて、4 人の登場人物について、ザックリと私見を述べると、ノラとアンバーの過去はおそらくに相当えげつない。彼女らの抱えるものは、特にノラについては、カミーユには捉えきれなかったろう。まぁ、話の次第はそうなった……。
ノラとアンバーの紡ぐ愛のようなものが、セラピー的なもので終始するのか、そういう枠組みを取っ払って自律した愛として発展していくのかはしらんけど、少なくとも作中の段階では、こりゃこうとしかならんわね。ツラい……。
一方は、エミリーとカミーユである。断片的にしか明かされないノラとアンバーの過去に比べ、現実直近の苦悩が描かれている。近親者の死ということだけど。
カミーユが車椅子をどうのこうのして苦しむシーンは、本作でも屈指に好きでね。妹さんとの関係も、最終的には一種の清涼剤として機能しているのがユニークだった。
母の死に対して、父、妹、そしてカミーユがどう向き合わざるを得ないのか、それなりに丁寧に描かれている。父の動向を知ったときの居心地の悪さ、そして単にその事実は、カミーユにも、エミリーにも重ねられる。
有り体に言えば、喪失をどう埋めるか。そこには人間性の濃淡がある。
エミリーの人物像の掘り下げもおもしろかった。たとえば、ノラとカミーユの関係が、彼の経歴について理解が進んだことでちょっと打ち解けたと思ったら、ピアノを上手に弾いているエミリーのカットにすっと移って、画面に窘められた気分になる。
グッと来たね。幼少時からの家族写真がたくさん画面に並べられる。彼女、バレエを習ったり、ピアノを習ったり、いろいろなところで家族の記念撮影をしたり……。裕福あるいは大切に育てられたというニュアンスが伝わる。ついでに、冒頭の字幕が記憶通りなら、大学は政治学院だそうで、これフランスでもエリートコースでしょ。
それがついには、友人からパーソナリティ障害を通告され、妹はロンドンなりで双子を生んで、母もそちらへかかり切りで、遠く幸せな生活を過ごしている。
残された大好きな祖母は、認知症だ。打つ手がない。
まぁこうやって振り返るとね、言い方に棘があるかもだけど、ノラはノラで、エミリーとカミーユはそのまま、落ち着くところに落ち着いている。相応というと雑かもしれない。
登場人物、あるいは俳優たちの年齢構成
奇しくもノラ役のノエミ・メルランが画家マリアンヌを演じ、同作の監督のセリーヌ・シアマが今回は脚本にクレジットされた《燃ゆる女の肖像》でも役者の年齢が気になったが、今回もそうなった。
登場人物についてだが、設定上、おそらくみんな二十代後半から三十代前半だろう。ノラについてだけは明言されていて、32(33だっけ?)歳と言っていた。俳優の実年齢と同じなんだろう。
カミーユはどうか。ノラよりは若そうな雰囲気もあるが、ザックリ調べたフランスの教員制度を見ると、大学の卒業に 5 年を要するらしい。6 年教員をしたと言っていた記憶があるので、留年のたぐいが無いとして 29 歳とかか。だとすれば、イメージ通りだ。
ちなみに、彼を演じた MAKITA SAMBA は 1987 年生まれというから、制作当時は 33 歳 か 34 歳くらいかな。ノミエ・メルランとは、ほぼ同世代だ。
エミリーを演じたルーシー・チャンは 2000 年生まれということで制作時点で 21 歳前後か。キャストのなかでは最年少だろう。それであの存在感はすごいの一言だが。エミリー自体の設定年齢は 25 歳前後かなと予測するがどうだろうか。
ついでではないが、アンバー役のジェーニー・ベスは、ミュージシャンだそうで、1984 年生まれだそう。メインキャストのなかでは最年長かな。これも不思議ではないというか、イメージには一致する。
冒頭の蜜月関係は 1 週間の何日目だったか
まぁどうでもいいんだけど、プロット上、時間が遡って描写されるのは冒頭だけと思われた。
オープニング、パリ13区の高層マンションではいろんな生活があります。さて、こいつらは…、というところでエミリーとカミーユがごろにゃんしているのは、冒頭および作中で繰り広げられた会話の内容からして入居初期だ。
2 人の単純な関係は 1 週間で終わったという彼女の証言を真に受けるなら、入居後の 2、3 日中のことと予測するのが自然だろう。
だからなんだ、という話ではあるが、そういうときくらいの無責任な関係とその愉楽に、なんというか人間らしさを感じる。
ひとこと愚痴のようなことを零せば、これは現地の人たちでも「あぁー、こんな感じだよね」ってなるような作品なのかは気になるところである。もちろん、まるっきりそんなことはなかろうから、よいお話で終わるのであろう。
Last modified: 2024-01-24